「ワクチン神話捏造の歴史」⑥要点抜粋 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊 ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ 著 神 瞳 訳 坪内 俊憲 監修
第9章はアーサー・スミス・ジュニアの事例
11歳の健康な少年がワクチン接種してからの後遺症に苦しむ。ここはカットして、
第10章では「健康革命」でコレラ、腸チフス、猩紅熱、チフスなど他の感染症も含めて、社会の衛生革命で防げるということが分かって来た。
人々の健康への関心を示すために、健康が守られるような規格・基準を地方政府が設定し始めた。社会改革運動家・活動家・医師、その他の人々が、一般大衆の健康を改善するための変革を推し進めた。政府はゴミの除去、清潔な水の供給、その他健康に関わる問題解決に焦点を当て始めた。
*だらしなさは宗教とは程遠い。清潔さは信仰心と非常に近い。
ジョン・ウェスリー、1703~1791、メソジスト派の信仰覚醒運動者
*人々が下水を薄めたものを主な飲み物として飲まなくなれば、当然健康になるはずだ。
サーマン・ライス医師、1932年
19世紀半ばまでに、スラム街は西洋社会に見られる住宅街になった。ニューヨーク市には10万人がスラム街の2万戸の借家住宅に住んでいた。スラムの住宅は人がひしめき合う不快な環境だった。コレラや天然痘などの感染症が姿を消すことは稀だった。
人々の間に不潔さが病気に原因であるということが理解され始めていた。病気が原因で貧困に陥るのであり、貧困のみが原因で病気になるのではないと考えられ始めてきた。このような気付きのもとで、清潔な水を供給し人間やその他が出す汚物を取り除く設備が備え付けられ始めていた。
貧困に陥る原因の20%は、高熱を出す病気が原因である。そういった病気は住居が過密状態であること、汚物を所かまわず捨てること、汚い飲料水や質の悪い食事を摂ることによって引き起される。貧困を撲滅することは出来ないが、予防出来る病気による貧困を駆逐することは出来る。
排水設備の整備、ゴミ・汚物を住居・大通り・小道から取り除くこと、上水道を整備することは、政府が行政として整備すべき主要で重要な手段であり最も実用的なものである。
19世紀初め、社会運動家・刑務所改革者・内科医・聖職者、そして科学者といったおよそ互いに関連のなさそうな人々が一丸になって、イングランドの労働者階級の苦しみを取り除くために衛生環境の改革を訴え始めた。
彼らは病気と貧困が「不衛生」な環境に起因するものであり、その状況を改善する手段があるのだと主張した。この「衛生環境改善運動」は1850年代から1860年代にかけて、イギリスにおいて公衆衛生において関する権限を設けるための法律を通過させるのに役立った。
そのような行政の権限のもとで、下水設備、上水道、環境悪化原因、その他内科医免許や児童労働における虐待など膨大な数の問題が規制された。
19世紀の世界のほとんどの地域で絶え間なくコレラが流行し何百万人もの人々が死亡した。それ以前は、「瘴気」と呼ばれる謎めいたガスから病気が自然発生すると考えられていたが、このお時点では微生物がコレラの病気に関係するという生物学的な理解が生じ始めていた。
1854年、イギリスの内科医、ジョーン・スノウは道路にあるポンプからくみ上げられる水が汚染さえているため、ロンドンでコレラが流行するのだと結論付けた。コレラに罹った人々は特定のポンプから汲み上げた水を使っていることに注目した。
彼は科学的な根拠を市議会に提示して汚染水の供給を禁止するように説得した。市はポンプを廃止するよう命令し、その後流行が下火になった。これにより水に含まれている何かによるものであることが示された。
【素直に科学的な根拠に耳を傾けた市議会の議員に感謝】。【コロナ対策やワクチン被害には目をつぶっている人たちがいる】。
市民が指導的な立場を取ることにより、人々の健康を維持する責任を政府が担うようになった。これらの努力により、人々と動物の汚物溜めだった都市が、人々が生き生きと暮らせる清潔で衛生的な場所に生まれ変わった。近代的な都市の姿が少しずつ現れてきていた。
ストックホルムでは、1853年のコレラ流行では3000人の死者が出た。下水設備を改善するよう要求する大衆の声が強まり、排泄物を効率的に廃棄することと市が所有する通りと広場を清潔に保つことを職務とする公共衛生課が新しくできた。
1890年にかけての30年間で改善されたので、ストックホルムの排泄物処理システムは中世と変わらないものから20世紀の名に恥じない衛生的な基準を満たすものに置き換わった。
新しい公衆衛生改善運動はイングランドで始まり、衛生環境を改善するために多くの努力がなされた。1859年にはロンドン下水道システムの敷設が開始され、6年間工事が続いて1865年に完成した。国会でも様々な法案が通過した。
下水道敷設法案は1865年、公衆衛生法案は1866年に通過し、役所が下水道を維持し、上水道を規制し、住居の過密状態を不法とすることが出来るようになった。
イングランドの事例を見て他の国々も追随した。しかし、スラム街から利益を得ている人々はこれらの改善に反対した。
【今回のワクチン騒動でも日本よりかなり極端な対策を取る国が多かったヨーロッパ諸国であるが、彼らの考え方は「柔軟性」に富み必要なら方向転換はいとも簡単にやってのける。マスクやワクチンは過去のこと】。
【そこへ行くと日本は一度作ったシステムや規制・法律はもうほとんど動かない。動かせないから困る。今日は自動車免許の更新に警察署まで行ったが中で働いている事務職の警察官全員がまだマスク着用で仕事しているのだ。ここには科学はない。2023年3月13日にマスク着用は任意になったが「全員が着用」というのが、方向転換出来ないのは上からの指示か、気持ち悪い】。
広大なスラム街区を所有している人々はすべての衛生環境の改善に抵抗しているこのタマニー協会(ニューヨーク市で市政を私物化した民主党の政治団体)がのさばっている都市から人々を救うために、1860年に衛生警察のシステムが作られ、健康課の役人を「衛生役人」として採用できるようになった。
「市民委員会」として抗議する所有者の面々はオールバニー(州都)の政府に介入させて骨抜きにすることに成功した。ニューヨーク市がアメリカで一番死亡率が高いことは何も驚くべきことではない。
19世紀の終わりにかけて、より大規模な下水設備が計画された。その計画により汚物まみれの都市だったロンドンは、基本的な下水道が整い、清潔な水が手に入る都市へと生まれ変わった。
ロンドンの上水道はテームズ川のより上流とリー渓谷から取水するようになり、濾過池が設けられた。この新しい上下水道のインフラは、土木技術の勝利の証である。
20世紀初頭までに塩素殺菌が行われるようになり、水の汚染が原因で起こるコレラ、腸チフス、赤痢といった病気がほぼ撲滅された。このようにして、水が感染症の原因になることが明らかになった。
年月が経つにつれ、より安全な水道のパイプが家々や店に直結するようになった。「ウォーター・クローゼット」(水の小部屋)―水洗便所のある部屋を指す言葉―の発達によって人間の排泄物が適切に処理できるようになった。このようにして糞便はもう通りにぶちまけられたり、それが人々の飲み水を汚染したりすることはなくなった。
1850年代には汚水は蓋がされてない溝、時には板や石で覆われた溝に排水されていた。1895年にはウォータークローゼットのある家は40件しかなかった。1904年までにはこの数が1506年に膨れ上がり、1909年には市がウォータークローゼットを自治体の下水道システムに連結する許可を出すようになった。1909年に第二下水道計画が開始され、最初の汚水処理工場が建設された。
居住不適格な住宅が取り除かれて、過密状態が解消され、新しく良い住宅に建て替えられた。多くの通りが拡張され、膨大な数の汚物溜めは中味を取り除いて埋められた。貧しい人の裏庭からは適切に排水がされるようになった。家自体も漆喰が頻繁に塗り替えられている。その他の衛生設備も敷設されている。
人々の衛生環境を変化させるには、当時の社会的常識を打ち破る必要があった。人々は健康的にも外見的にも風呂に入ることは必要でないと考えられており、体臭は問題とされていなかった。
19世紀と20世紀の最も基礎的な課題は清潔さの概念であった。特に大衆は頻繁に石鹸を使うことは皮膚に悪いと主張して抵抗した。
これらの抜本的な衛生環境の変化は「細菌・ウイルス病原体仮説」が一般に広まる前に起こっている。20世紀の初めでもまだ汚物が病気を引き起こす有毒なガスを発生させるものだと、医療専門家や保健関係の役人、もちろん一般人の多くも信じていた。
政府は都市計画を実行し汚染物質を垂れ流す工場を人々の生活区域から遠ざけた。屠畜場、精肉工場、にかわ工場(馬の死体からにかわを取る工場)、なめし工場、その他の製造工場が標的となった。公衆衛生向上のために、これらの不快感を与え汚染を垂れ流す産業は徐々に都市の外側に追いやられた。
作業場と工場への立ち入り検査が初めて行われた。最も激しく闘った相手は精肉に関わる人々で、彼らは正当だろうがなかろうが全ての可能な手段を用いて必要な保健衛生に関する規則の施行を妨げようとした。
くず肉がシカゴ川やミシガン湖に捨てられることは、屠畜工場内での悪い労働条件とはまた異なる、深刻な健康上の問題をもたらせている。
汚物と汚染された水を適切に処理しないと病気が蔓延することが理解されるようになった。更に汚染された食料も主要な問題となっていることが認識され始めた。牛乳は特に病気と死亡に関わっていた。
水の次の牛乳の供給システムが腸チフスの主要な原因になっている。乳牛は腸チフスの病原菌に汚染された非常に汚い水を飲んでいる。牛乳が汚染されたのは乳牛が汚染水を飲んだからか、それとも、牛乳配達員が汚染水で牛乳を薄めたからか、どちらが本当の原因かは現在問われているところだ。
清潔さの水準を上げること、人間の排泄物の処理を改善すること、食物とその処理方法の検査をより頻繁に行うこと、子供たちが十分な栄養を取れるようにすること、保健に関する教育を行い衛生的な習慣を身につけさせること、政府はこれらの事柄に介入した。
イングランドの医師は母乳育児の促進と牛乳を低温殺菌したりすることで乳幼児の高い死亡率を低下せることができるという考えを広めた。
牛乳の低温殺菌は常識となった。ホルムアルデヒドのような毒素が発見され除去された。検査後、皆が飲む牛乳が危険で死の危険のある飲料から安全だと信頼できる飲料になった。
ある医師は「病原体を注射する必要はない、下水道の設備、衛生観念、生活環境の向上がジフテリアをはじめとする病気を駆逐することができる」と述べている。
ジフテリアというあくどい病気を撲滅するためには、元々の病原体に加えて別の病原体を人体に加える必要はない。私たちの住む大小の街にはびこる暗く湿った換気の悪いスラム街を除去することが必要なのだ。
貧しい人たちが住む過密状態の不衛生な住居に光と空気を入れることによって、そして清潔や衛生に関する知識を人々に植え付けることによって病気は駆逐できる。
コネチカット州の教育庁長官は、感染し伝播する病気は致命的であるという考えは完全に間違いである。完全に予防可能でもある。最初から予防的な手段が取られているならば、全ての個人がはしか、百日咳、猩紅熱、ジフテリア、結核のような病気の全部に罹るというような事態は起こりえない。
日光、新鮮な空気、完全な栄養、運動、休養、清潔な生活の仕方が、病気になった後に行われる現存する治療全てよりも、ずっと効果的なのだ。
ある医師は1922年にアメリカ医学会誌に掲載された論文の中で次のように述べている。「予防接種、血清、実験室での検査、隔離は重要な対抗手段ではない。必要なのは大衆が直感的に清潔さと下水設備と基本的な免疫力の重要さを理解できるようにすることだ。
下水道設備と公衆衛生が急激に改善されていただけでなく、劣悪な労働条件も改善しつつあった。何千人もの女性は悲しくなるほど少ない給料のために長時間店や工場で働いていた。労働法もなく労働組合も存在しなかったので、雀の涙ほどの給料で働き生き延びるために毎日格闘していた。
衣料品業界は「低賃金過重労働産業」として知られていた。ロンドンでは一年の内数か月、労働者たちは18時間から20時間働かされた。活動家のグループ、組合、そしてメディアもこれらの労働条件を改善するよう訴え始めた。
1880年代、女性は家族を養うために働かざるを得なかった。1930年代までには変化が現れ、女性は生き延びるために必須だからでなく、生活を豊かにするために働くようになった。
また児童の過酷な労働条件を少しずつ改善する法律が多数通過した。紡績業で働く児童の労働条件を12時間に制限した。1833年の法律では12歳以下の子供は8時間以上の労働は禁止にされ、13歳から18歳の未成年者については12時間以上が禁止された。
1842年には女性と10歳以下の子供は鉱山の地下で働くことが禁止された。1874年までに10歳以下の子供は工場で働くことが禁止された。
その後、1852年アメリカでは子供に通学の義務を課す法律を通過させた。その後50年間で全ての州が少なくとも小学校を卒業させることを義務とする法律を制定した。しかし学校の質は少しずつしか改善しなかった。
しかし1890年代のシカゴ市の一般的な衛生環境の条件は近代的な基準からみてまだ劣悪であった。郊外では不衛生な水汲みポンプや井戸が使われていた。市が供給する牛乳は良くて低品質、悪ければ汚染されていた。
1900年まで新しい排水用の運河は開通していなかったので、1890年代にはまだ、市民たちは下水をミシガン湖に流しいれ、そしてその湖の水を飲料用にしていたのだ。
米国では、中央から配給されるシステムを通じて濾過された水を水道パイプに通し直接家々に供給する「水道の整備」がなされるようになると、人々の個人的な衛生環境に大きな変化が起こった。
1910年の夏には25%以上の住民が「水道の整備」の恩恵を受けた。水が利用できるようになると、流し台、浴槽、シャワー、屋内のトイレが設置されるようになった。石鹸や洗濯機の売り上げもそれに並行して増加した。
技術の進歩は人々の健康に多大な影響を与えてきた。野外の排水に使われるタイル、水洗トイレ、水の浄化設備、殺菌などの技術革新により、抗生物質などよりずっと多くの命が救われたことは間違いない。
一般の医療は、特にワクチンは、この目を見張るような改革とはほとんど関係ない。それにも関わらず、多くの人は医療システムの発展だけが人類の進化だと信じ、その他の非常に重要な人間社会における改革を無視している。
医学による治療と比較して、公衆衛生や健康法は全く取るに足らないものとして、ぞんざいに扱われている。移植手術は新聞の見出しを飾るが、健康に関する教育は学校のカリキュラムの中ではほとんど扱われもしない。
第11章 「感染症の驚くべき激減」に続く