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「ワクチン神話捏造の歴史」④要点抜粋 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊  ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ 著 神 瞳 訳     坪内 俊憲 監修

第7章 政府に対抗した実験

ワクチン接種によって天然痘の流行を食い止めようと試みるものは傘で雷を防ごうとしているのと全く変わりない。
ドゥルイット医師 19世紀末

ごく少数の軽症事例しかない天然痘を予防するために、8000人の健康な赤ん坊の体に、原因が漠然としている病気の病原体を接種するとは、なんと狂気に満ちた行動だろう。これ以上に気違いじみたことがあるだろうか。
J・W・ホッジ医師 1911年

教育を受けただけのバカは誰でも問題を大きく複雑にすることが出来る、、、天才的なひらめき—そして多くの勇敢さ―が反対方向に舵を切るのに必要である。
アルバート・アインシュタイン(1879-1955)


【以下は本書の抜粋ですが、「歴史は繰り返す」とはこのこと。現代の新型コロナワクチンで世間を騒がせているケースと同じことが19世紀にも起こっていた。そして今、21世紀でも起きているのである】。

ワクチンの安全性や効果に関して懸念が高まり、ワクチン接種強制が政府による個人の自由への侵害に当たるため、ワクチン反対運動が燃え上がった。

人々は政府に従う代わりに罰金を払うことを選んだ。投獄されても自分や子供たちに接種されることを拒否するものもいた。1885年、イングランドのレスター市で実施された大規模なデモによりこの反対運動は最高潮に達した。

レスター市は罰金と禁固刑により接種を進めてきたが、デモの同年(1885年)、ワクチン強制化に反対する新しい政府に取って代わられた。そして1887年までにワクチン接種率は10%まで低下した。

1887年以降、ワクチン接種拒否をしても起訴されることがなくなった。

「レスター市方式」とは、天然痘患者が発生すると患者を隔離しその住居を完璧に消毒することであった。市民たちはこれが天然痘ワクチンを根絶する安くて効果的な方法だと信じたのである。市民と医師の義務は直ちに天然痘患者を自治体に届けなければならず、そうしないと罰則が課さられる。

これまでの10年間でワクチン接種率は著しく低下したが、それにも関わらず、殆んどレスター市には天然痘は発生しなかった。

わずかばかりの費用しか掛からないこの対策の結果、全ての天然痘の発生例において素早く完全に感染が食い止められた。

市民はワクチン接種によって死亡や後遺症が生じていると信じられているのでワクチン義務化法案に対する反対が根強いのである。

それでも推進派の人間は、
医師のコリガン卿は1871年、ワクチン法制定の委員会メンバーとしてこう発言した「ワクチンを接種していない子供たちは火薬が詰まった袋のようなもので、小学校を吹き飛ばしかねないため、接種しない限り入学を認めてはならない」。「予防を一切されていない子供たちが一番多く天然痘の犠牲になるだろう。周囲の自治体も天然痘の流行から逃れられない」。

「そしてワクチン接種を一度も受けていなかったり、再接種を受けていなかったりする何千人もの人々がジェンナーの発明の恩恵を受けたいと騒ぎ立てるようになるだろう」

【外国でも根拠のない数字で一般大衆を煽り恐怖心を植え付けようとしていた専門家がいたが、日本でも42万人が死ぬと煽った専門家はその後何故か北海道大学から京都大学に昇進?した】。

このような医療の専門家による大惨事の数々の予言にも関わらず、レスター市民は方針を変えることはなかった。自分たちの体験からワクチンが天然痘の流行を食い止めることはないと信じていたからである。

そして天然痘の大流行がレスター市民を襲う結末を迎えるという予言はついぞ実現しなかった。

ワクチン接種率の高い町々が天然痘の流行を経験しているだけでなく、考え得る限り完璧な接種率の地域住民が大規模な流行に襲われている。

フリントシャーのモルドである。

レスター市では10歳以下の子供はほぼワクチン未接種であるが、100万人当たり144人の死者を出した。これに対してモルドでは18年間にわたり全ての赤ん坊がワクチン接種を受け続けてきたが、死亡率は100万人当たり3614人であった。

レスター市では、接種率の高いバーミンガム市と比較して(1万人当たり63人の感染と5人の死者)、レスター市は(1万人当たり19人の感染者と1人の死者)天然痘の感染者数は3分の1、死者は4分の1である。

レスター市はワクチン接種を殆んどしていないので、ワクチン接種によって天然痘の感染を予防するという言説も、感染した場合の重症化を防ぐという主張も、両方とも完全に間違っていることが示された。

【今回の新型コロナウイルスのワクチンでも同じことが言える。彼らはワクチン接種により「感染を予防出来る」から「重症化を防ぐ」とゴールを動かしたが、動かしたゴールでも防ぐことは出来なかった。ワクチンは両方とも達成していない。ただ重度の後遺症と死亡を招いただけである】。

【問題は0.5%問題だ。ワクチンは均一の質で製造していない。重症か死亡になる確率は200人に1人=0.5%問題のロシアンルーレットと言われている。ワクチン史上の累計死者数より3年間の新型コロナのワクチンの死亡者数が多いと記録されているが、まだこのワクチンを推進していることは裏に何かがあると想像しなければいけない。ワクチンのせいで多くの人に死んでもらいたいのか、病気になって医者通いして欲しいのか】。

【こう考えたくないが医者の能力もピンからキリまで。長期的なワクチン後遺症に関するデータ無しで、5類の風邪にワクチン推進の理由は見当たらない】。

1904年にC・キリック・ミラード医師はレスター市の保健長官であった。彼は以前、天然痘ワクチン接種は一時的にせよ完全な予防効果を発揮すると信じていた。しかし、現実を見るにつけ、根本的に信念を変更し、ワクチン接種と予防効果の関連性について再検討せざるを得なくなった。

そして、天然痘の流行時にワクチン未接種の人々がよりリスクの高い状況にあるとの神話を完全に否定した。

重要なことは、未接種の子供たちが大して天然痘に罹らないという事実である。しかも、一般的な傾向として子供が天然痘に罹る時は、ワクチン接種を受けた大人から感染しているという観察を述べている。

近代的な対策が取られている場合、たとえ流行の最中であっても、ワクチン未接種の人々が、天然痘に罹る率は従来考えられていたよりも低い。

10カ月続いた流行の間、15歳以下の136人の子供が天然痘に罹患したものの、殆んどが一度はワクチン接種をしたことがある大人から感染していたのである。

このことから、ワクチン未接種の子供たちの間で「病気が感染する」という傾向があるとはとても言えない。

これに加えて、ミラード医師はワクチン接種が以前推奨されていた時に言われてた程無害なものではないと述べている。

彼の知見の最も重要な点は、ワクチン接種が天然痘の重症化を防ぐとしても、重症であれ軽症であれ感染性があるので、流行を食い止めることは出来ないということである。

ワクチン接種後に天然痘に罹患した場合の地域社会に対する危険性は、ワクチン未接種者が罹患した時と同等である。

それ故にワクチン接種を法によって強制することには何の理由もないし、政府がそうする権利もないはずである。

一方、ワクチン接種を済ませた人が天然痘の感染を広げていることが、今までのところまだ十分に強調されているとは言えない。

従って、一時期強く主張された「ワクチン未接種者が地域社会にとって危険である」という言説を理由として、ワクチン接種の法による強制化を擁護することが妥当とはとても言えない。

それでもニューヨークタイムズの記事(1914年)には「レスター市では75%が未接種であると言われているので、これまでのところ大惨事は起きていないが、一世代前に多くの未接種者を抱えたカナダで天然痘が猛威を振るった時の経験に照らして、イングランドにも残酷な報いがあるだろうと自信をもって予見できる。近代社会において集団生活を営む上での常識を持たない馬鹿どもが滅びるのは自然の法則である、、、」。

レスター市の幼児の殆どはワクチン未接種のままであったが、大きな流行はなかった。なぜ医療の専門家がここまで間違うのだろうか。

ロンドンのキングスカレッジのE・M・クルックシャンク教授は、ワクチンに対する意見を次のように述べている。(1893年『ワクチンの歴史と病理学』という本の著者)
不幸なことにワクチン接種の有効性に対する信仰は、医療従事者への教育課程で強調され過ぎている。

だから我々の世代において、ワクチン接種の無益さが一般的に認められる可能性はほとんどない。

反対にワクチン接種が医療の専門家に対する信用を高め、病理学と衛生科学が進歩したという証拠になっている。

天然痘発生時に素早く届け出て隔離することで天然痘がコントロール可能になったならばワクチン接種という施術はなくなり、歴史的な興味の対象としてのみ存在することになるだろう」

【これが今もってワクチンを推奨する理由だ。教育課程で教えられたものは信仰と同じで疑ってはいけない、その洗脳の結果なのだ。またそうしないと入ってくるものが入って来ない。莫大な費用をかけて開発されたものが一瞬のうちに消えてなくなる。打ち出の小槌が無くなる何て許せないのだ。だからワクチン信奉者が多い日本でその火を消さないために、唯一の人体実験場と化してしまう可能性がある】。

クルックシャンク医師は楽観的過ぎた。ワクチン接種の無益さを認める世代はいつまで経っても現れていない。

天然痘ワクチンはおおよそこの100年後にようやく停止されたが、ワクチン接種が無駄であり、不必要な後遺症や死亡を引き起こしていることが認識されたり承認されたことは一度もない。

実際のところ、天然痘ワクチンに関連して深刻な問題が生じたし、その有効性を示す証拠はないにも関わらず、天然痘ワクチンは今日のワクチン神話を維持するための好例として提示され続けているのである。

1948年にイングランドでのワクチン義務は廃止された。それまでの60年間、レスター市における実験は大成功をおさめ続けた。

1948年にミラード医師は以下のように述べた。
   これまでの62年間を通じて、レスター市では幼児へのワクチン接種をしてないが、天然痘による死亡はわずか53例である。最近の40年間ではたったの2例である。

ワクチン接種への「良心的拒否」が認められるようになってからワクチン接種率は着々と低下の一途をたどり現在では三分の2の赤ん坊はワクチン接種を受けない。同時に天然痘による死亡率も低下し続けており現在では無視できる程度となっている。

1933年から1946年の14年間では4000万人の人口における死亡はわずか28例であり、その中に1歳以下の赤ん坊の死亡は1例もない。

1980年のメディカル・ヒストリー誌は「、、、最高に効果的なのは、患者発生後ただちに担当部署に通知し、患者を隔離し濃厚接触者を検疫することだと証明された」。

ミラード氏は1901年から1935年までレスター市の保健長官であったが、なぜ同時代の医者たちが誤っているかについて説明した。

誤りの根幹はワクチン接種に対する自家撞着的な信仰である。

   なぜ幼児へのワクチン接種を廃止したら天然痘による大惨事になると医療の専門家達があれだけ間違った予言をしたのか過去を振り返ってみると興味深い。おそらく、天然痘ワクチン導入後の時代に、幼児への接種のみが天然痘の死亡率低下の理由であったとする強い信仰のせいである。

   これらの二つの事柄には明白に因果関係が存在するとどの教科書にも書いてあるし、全ての公衆衛生の講義で教えられる。

実際、ワクチン接種は予防医学における目を見張るべき大成功だと讃えられてきた。

医学生がこのことを議論の余地のない科学的事実だと信じ込むのも無理はなかろう。

権威ある医師たちはしばしば図表を用いてワクチン強制が天然痘の死亡数低下と関連があることを示した。表面的には幼児のワクチン接種率と天然痘による死亡率低下との間に関係あるように見える。しかし、このような図表は不完全であった。

私たちはこの関連性を(幼児のワクチン接種率と天然痘の死亡率低下の関連性)は偶然の一致に過ぎないことを知っている。

なぜなら、ワクチン接種率が低下した後も天然痘の死亡率は低下し続けたからだ。この傾向はもう60年続いている。

ワクチン接種がこの長期間、信頼されていることにはあまり、いやほとんど妥当性がない。

レスター市における1872年の天然痘流行の後、ワクチン接種率と天然痘死亡数は両方とも低下した。

今日の熱心なワクチン推進派が言うこととは反対に、ワクチン接種率が急激に低下した1885年以降、全体的な子供の死亡率もすべての年齢層で低下している。

全年齢層の子供の死亡率は1880年まではさして変化がなかったことにも注目すべきである。

何十年も厳しいワクチン接種法が施行されていたが、全体的な子供の平均余命を伸ばす効果は全年齢層において全く見られないのだ。

一般の人たちが信じていることとは反対に、天然痘は全員へのワクチン接種によって駆逐されたのではない。

60年以上に及ぶ実験は、「発生報告と隔離」方式が有効であると示しただけでなく、医療の専門家たちの常識となった「科学的思考」が間違っていることも示した。

しかし、レスター市での成功を見ても、天然痘の症状が軽くなっても、どこの政府も人々に接種義務を課す法律を盾に厳格なワクチン接種システムを続けた。

【日本では法的にも強制ではないが、今、世界では終わっている新型コロナワクチンの改良版レプリコンを長期的な副作用のリスクを見ないでこれから接種し続ける用意がある。「ヒポクラテスの誓い」を医師は忘れてはいけない。医師はワクチンへの信仰、一般大衆はマスクへの信仰が篤い日本】。

1902年にオルダーマン・トーマス・ウィンドリーはイングランドのエクセターにおける王立公衆衛生研究所の総会で論文を発表した。彼は47年間保健衛生委員会の議長であった。

   ワクチン接種を行わないと大惨事が起こると専門家たちは心から信じていた。しかし実際にはそんなことは起こらなかった。どうだろう。レスター市の対策のお陰で天然痘の度重なる流行が断ち切られたこと、そして嫌悪された恐ろしい感染症を防ぐ効果的な対策を最初に導入し、今では全国の殆どの大きな街がその対策を取り入れていること、これらを専門家たちは真剣に考えるべき時期に来たことを認めざるを得ないだろう。

彼はレスター市の成功を認めなけらばならないと医療専門家たちに諭したのである。

1911年にはJ・W・ホッジ医師がレスター市においてどのように天然痘が制圧されているかを述べた論文を発表した。この時までに、政府に対抗して行われた実験は何十年もの間、成功を収めた。

   ワクチン接種率が著しく低くなったレスター市の実験によって一般の人々の目は開かれた。25万人近い人口を持つこの大きな製造業の街は、一時期は95%もの新生児がワクチンを接種され、成人も殆んど再接種を受けていた。

しかしワクチン強制を廃止して以降25年以上の間、ワクチン未接種の人口は天然痘にずっと罹りにくく、罹っても重症化しにくいことを示した。

ユーゴスラビア、1972年2月16日~4月11日
天然痘ワクチンが人々を感染から守れないことが明らかになってきたため、天然痘撲滅運動の後期には、WHO(世界保健機構)もレスター市方式に則った対策を取らなくてはならなくなった。

【井上正康教授は隔離が必要なのは感染後に短期間で発症し直ぐ亡くなる強毒ウイルスに対して有効。コロナのように潜伏期間が長く大半が無症状で経過するウイルスには効果はあまりないと言う。しかし今回の新型コロナウイルスでは隔離・ロックダウン・都市閉鎖などをやってしまったが、天然痘対策の間違いを今回は再びその対策を間違えてしまった。ロックダウンや隔離をしてはいけなかったのだ。これで皆さん専門家なのだろうか】。

ユーゴスラビアでは1972年2月に天然痘が流行した。最初に認識された天然痘患者のケースはユーゴスラビア人のイスラム教巡礼者で、イラクを旅している時天然痘に罹患した。その直前の1971年12月に公衆衛生クリニックで天然痘のワクチンが接種済みであったにも関わらずだ。

1972年4月までに天然痘の流行は175の感染例と35の死亡例を出した後、収まった。一定以上の年齢層は接種率が高かったが第3波の流行時に感染した人は殆どすべてがワクチン接種済みであったことは注目に値するWHOそのものの報告書には以下のような記載がある。

   20歳以上のグループでは92人の患者が接種済みで、21人が未接種だった。接種済みの感染例が7歳以上に多いことから、1回目の接種後の免疫は激減していることが分かる。7歳から14歳の年齢層は2回目の接種を受けているが、再接種を受けても効果がないことが分かる。

1972年の天然痘ワクチンのケースであるが、接種者の方が病原体に罹りやすい、また免疫は接種者は激減すると分かっていたのだ。WHOは自分たちで報告書を作成して上記の事実が分かっていたのにも関わらず、今回の新型コロナウイルスワクチンをブースター接種させた意味が理解できない。それも欧米の人たちは半強制だ】。

ワクチンは効果がないと知っていたにも関わらず、ユーゴスラビア連邦疫学委員会は1800万人の市民にワクチン接種を行った。接種の多くが不成功だと見なされ、再接種を行ったので4月末までにワクチン接種は続いた。

ここで明らかに問われなければならないのは、これまでの200年間、いったいどれ程のワクチンが「効かなかった」のだろうか、ということだ。答えは誰にも分からない。その間、レスター方式も実行され、全ての感染者はすぐに隔離された。患者に接触した人は隔離施設やモーテルに収容された。隔離施設は個人の家にも設けられ、場合によっては村全体が隔離場所となった。

流行は素早く治まった。

天然痘ワクチンの成功の歴史が讃えられ続けるのであれば、本当はワクチンに効果がないということが分かっていても、接種の流れを止めることは出来ない。実際に天然痘の流行を止めたのはレスター方式なのである。

以上です。




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