オートファジーで手に入れる究極の健康長寿ー抜粋 ② 「スイッチ」ジェームス・W・クレメンテ 著
第1章 イースター島と移植患者
スイッチの概念が初めて私の頭の中に浮んだのは、「カロリー制限がマウスのがんを予防する」というテーマのカリフォルニア大学リバーサイド校のスティーブン・スピンドラー教授の書いた論文を読んでいたときだった。既にカロリー制限や断食、ケトン体生成、長寿に関する論文を500本は読んでいた。
大量の論文は、「精製・加工食品(特に砂糖や脂質、塩分の多いもの)を避ける」「身体を動かす」「よく眠る」「タバコを吸わない」「お酒を飲みすぎない」といった私たちがよく耳にする健康に関するアドバイスの正しさを裏付けていた。
その一方で、私はこれらの科学文献の中に埋もれている、それまで聞いたこともなかったが、説得力のあるデータにもたくさん出合った。例えば、ある種のナッツは他の種類より健康効果が高い。タンパク質の摂りすぎは害になる可能性がある(また、ある種の動物性タンパク質は他のものよりもはるかに身体に良くない)、食事を複数回に分けて一日中摂り続けるのは健康に良くない、ビタミンEなどのビタミンにはがんの発症リスクを高める可能性がある、たまに葉巻を吸うことは長生きに役立つかの知れない、などだ。
私は、身体の働きと若さを保つ秘訣を細胞レベルから深く理解したいと思った。そして、ある日ついにそのアイデアが頭に浮んだ。これまで私が個人的に探求してきたことや、読み漁ってきた大量の論文全て、はっきりと「スイッチ」の存在を指し示していた。
このスイッチは専門的には「mechanistic Target Of Rapamycin」(ラパマイシン機構的標的タンパク質)と呼ばれ、「mTOR」(エムトア)と略されるタンパク質複合体のことだ。mTORはほぼすべての細胞(血液細胞以外)が持つスイッチだ。そのスイッチは、次のように作動する。mTORの働きが抑制されると「細胞の自己浄化モード」であるオートファジーが起動し、脂肪を燃焼させるだけではなく、細胞内に生じた有毒物質や増殖しようとしているがん細胞を除去する。
逆に、mTORが活性化すると、「細胞の成長モード」に入る。このモードでは、タンパク質の生産、エネルギー(グルコースと脂肪)の蓄積、細胞の形成などが促進される(確かに人間には、脂肪を蓄え、タンパク質や細胞の生産を増やす時期もある。だがそのために、細胞修復や自己浄化のプロセスを抑制し続けるべきではない)。この「成長モード」(同化プロセス)の状態が極端に長くなると、病気にかかりやすくなる。そして現代の私たちの生活習慣は、まさにそれに当てはまる。
【だから病気の時は、食べないことでオートファジー・モードになり、有毒物質やウイルス・細菌などの病原体を除去することに専念すると治りが速くなる。これはヒトも含めてどの動物もしていることだが、現代医学は認めていない。むしろ栄養を摂りなさいと食べることを勧めている。東洋医学とは真逆である】
見えないものを見る
20世紀初頭の電子顕微鏡の普及は、医学にさまざまなパラダイムシフトを起こす引き金になった。それを可能にしたのは、磁界型電子レンズの出現だ。磁界を利用したレンズを使い、波長が光波の10万分の1にもなる電子ビームを対象物に当てることで、倍率を最大1000万倍に拡大できる。これによって、細菌やウイルス、細胞の微細な部分など、通常の顕微鏡では見えないものを捉えられる。
1955年、ベルギーのルーヴァン・カトリック大学のクリスチャン・ド・ドデューブと、バーモント大学医学部のアレックス・ノヴィコフが、電子顕微鏡を使って細胞内に膜のような小器官があるのを発見した。デューブは細胞内の成分を隔離・消化する働きをするこの細胞小器官を「リソソーム」(意味は、「何かを分解する」)と名付け、その消化特性を明らかにしたことで、1974年にノーベル医学生理学賞を受賞した。
1961年、ニューヨーク、ロックフェラー研究所の電子顕微鏡の先駆者キース・ポーターは助手のトーマス・アシュフォードとともに、電子顕微鏡を用いてラットの肝細胞を観察した。このラットの肝細胞には、グルカゴンが豊富に含まれていた。
グルカゴンは膵臓で産生されるホルモンで、肝臓に蓄えられたグルコースを血液に放出させる働きをする。ポーターとアシュフォードはオートファジーを初めて観察した科学者とされているが、オートファジーがはっきりと理解されたのはその数十年後のことだった。
コラム1 グルカゴンとインシュリン
グルカゴンは、膵臓の細胞群ランゲルハンス島のα細胞でつくられるホルモンだ。グルカゴンの分泌はタンパク質の摂取、低血糖、運動によって促進され、糖質の摂取により抑制される。
インシュリンは、食べた物(特に糖質)に反応してランゲルハンス島のβ細胞によって産生される。その役割りは、血糖値を低下させ、脂肪、筋肉、肝臓などの身体組織のグルコース貯蔵を促すことだ。
インシュリンの働きを「陽」とすると、グルカゴンは「陰」の働きをする。グルカゴンはインシュリンの作用とは正反対に、グリコーゲン(グルコースが肝臓、筋肉、脂肪組織に蓄えられる時の形態)の分解や、糖新生(肝臓でアミノ酸とグリセロールからグルコースを作る)を促し、血中のグルコース濃度を上昇させる。グルカゴンの主な役割りは、空腹時や運動時に血糖値を保つことだ。
十分な量のグルコースが血中に送り込まれると、インシュリン(グルカゴンと同じ膵臓から分泌されるホルモン)がそのことを細胞に知らせ、グルコースを取り込み、燃料にするよう働きかける。燃料を燃やすのは細胞内のミトコンドリアだ(ミトコンドリアはエネルギー産生の重要な細胞小器官である)。
インシュリンとグルカゴンは密接に結びついているが、基本的には正反対の働きをする。すなわち、血糖値の高さによってどちらが分泌されるかが決まる。血糖値が低いとグルコースの産生を促すためにグルカゴンが放出され、高いとインシュリンが放出される。
ポーターとアッシュフォードは電子顕微鏡の助けを借りて、劣化や分解などさまざまな段階にある細胞内の膜を観察した。また当時、この同じプロセスによってグルカゴンがタンパク質を分解するとの研究報告があり、それにも注目した。翌年、ドイツの科学者たちは、細胞が損傷または飢餓状態にあるとき、細胞内の小器官を分解する特殊な膜構造があることを報告した。デューブはその論文を読んだ後、膜を形成し、物質を隔離し、分解するプロセスを説明するために「オートファジー」という用語を作り出した。
その約10年後、絶海の孤島での偶然の発見が、オートファジーをオフにするmTORのメカニズムの解明に繋がった。
スイッチの発見
イースター島は(チリ領)南太平洋に浮ぶ小さな火山島だ。1972年、カナダ、マギル大学の研究チームは、イースター島の土壌サンプルを持ち帰り、そこからストレプトミセス・ハイグロスコピクスという微生物を発見した。この微生物は、競合する菌類の増殖を止め、自身が出来るだけ多くの栄養素を吸収出来るようにするため、有機化合物を産生する。研究者たちはその化合物を、島の呼称(ラパ・ヌイ)にちなんで、ラパマイシンと命名した。ラパマイシンには、抗生物質のような強力な抗菌、抗真菌、免疫抑制効果が認められた。また、ラパマイシンには腫瘍の抑制作用があることを見つかった。
1980年代初め、複数の研究機関がラパマイシンの研究を開始し、その後の10年間で、酵母、ショウジョウバエ、線虫、菌類、植物、そして哺乳類の細胞増殖に対する阻害効果を報告する科学論文が次々と発表された。(哺乳類のTORが発見されたのは1994年になってからだ)これらのどの有機体においても、この阻害機構には「ラパマイシン標的」(TOR=target of rapamycin)と総称される標的タンパク質への結合が関連している。
簡単に言うと、ラパマイシンは鍵穴に鍵がピッタリ適合するように標的のタンパク質に結合し、それによってそのタンパク質の活動を抑制する(この標的タンパク質については、本書ではこれ以降、より正確な用語である「mTOR」を用いる)。
ラパマイシンの発見は、mTORの発見に繋がった。mTORの活性化・抑制をもたらす生物学的経路と、その結果として生じる効果の研究に取り組めるようになった。その過程で、mTORが活性化されるとオートファジーが抑制され、mTORが抑制されるとオートファジーが活性化されることも分かった。
つまり、細胞が同化(成長)段階にあるか、異化(浄化)段階にあるかをmTORがコントロールしていると言える。mTORが細胞に栄養状態などの情報を伝達する司令塔と考えると分かりやすい。
この仕組みが生命20億年の進化の中で維持されてきたのには理由がある。これは細胞の成長と代謝の主要な調節装置であり、生命が細胞内でどのように営まれているかを解明するための鍵である。これが「スイッチ」の本質だ。
現在、ラパマイシンは臓器移植患者の拒絶反応防止に使用されているだけでなく、抗老化や抗がん剤開発の分野でも大きな注目を集めている。なぜなら、ラパマイシンが実験室でテストされたさまざまな生物の寿命を延ばしたからだ。糖尿病や心臓病、神経変性疾患、免疫機能低下のリスク軽減や、老化を遅らせる作用についても研究されている。
ラパマイシンと老化
ラパマイシンが細胞の働きにもたらす効果の発見は、謎から始まった。成長ホルモン分泌不全性低身長症は脳下垂体に異常があるために、正常な発育に必要な成長ホルモンを産生できない。そのため身長は大きくならなかったが、その欠点を補う優れた点があった。長寿であったのだ。身体の成長を止める遺伝的エラーと、寿命が延びたことにどんな関係があるのだろうか。
分子生物学者マイケル・ホールらのチームは、ラパマイシンが標的とするタンパク質が酵母の増殖をコントロールしていることを発見した。ラパマイシンを使って標的タンパク質の働きを封じると、酵母を飢餓状態にした場合と同じ効果が得られた。この酵母の細胞は通常の細胞よりも長く生存し、そのサイズは小さかった。
もしmTORが「栄養状態によって反応する仕組み」であるなら、それによって食餌制限と成長因子(細胞の増殖、分化、生存などを促す内因性タンパク質の総称)の抑制との間に何らかの関係が生じて、ラパマイシンを与えられたマウスは長生きするのでないかと考えた。
しかし、そこで問題に突き当たった。これまで、何十年も免疫システムの働きを抑えるために使われてきた薬が、なぜ寿命を延ばすのか。科学者たちによりまずラパマイシンがミミズやショウジョウバエの寿命を延ばすことが明らかになった。次に生後20ヶ月のマウス(人間だと70歳に相当する)にラパマイシンを与えたところ、寿命がオスで9%、メスで14%延びた。これは、薬によって哺乳類の寿命が延びたことを示す初めての実験となった。
それまでは、マウスの寿命延長に成功したのは、カロリー制限や遺伝子操作のみだった。2012年、生後9ヶ月のマウスに腸溶性コーティングしたラパマイシンを生後22ヶ月になるまで投与し、若いマウス(生後4ヶ月)と比較して老化の状況を調べた。
その結果、ラパマイシン投与マウスでは、肝臓や心臓、関節の機能の衰えをはじめとする加齢に伴う多くの病気の発症が遅くなった。研究者たちは「ラパマイシンは、加齢にさまざまな症状の発現を遅らせると同時に、直接的な抗腫瘍効果を持つかもしれない」と論文に書き、この抗がん効果は、単に加齢の遅れの結果であり、直接的効果ではない可能性も併記した。
生物医学研究の世界では、画期的な実験結果は、他の科学者によって再現される(再現性がある)場合のみ本当に役に立つ。他の研究者でもマウスを使った実験でこの再現性があり、更に犬での実験でも長寿効果が見られた。また、2006年の論文では、老化はmTORが過剰に活性化されることで引き起こされる疾患プロセスだと初めて主張した。
しかし、こうした画期的な研究成果の一方、ラパマイシンが寿命を延ばすために、何に対してどのように機能しているかなどの生物学的なメカニズムは十分に解明されていない。
ラパマイシンの標的となるmTORは、細胞内の細胞質に存在する大きなタンパク質複合体だ。細胞内で起きていることを敏感に察知して、直ぐ隣りにある細胞核にどう反応すべきかを伝える。mTORは神経系や筋肉など身体のあらゆる器官の活動に関与しているため、どんなメカニズムで老化に影響を及ぼしているのかを正確に抽出するのは簡単ではない。だが、いずれ解き明かされるだろう。
人間を対象にした臨床試験は時間がかかりすぎる上、資金を得るのも簡単ではない。それでも健康上のメリットを探ろうとする臨床試験は増えており、その数は本書の執筆時点で1300を越える。研究対象はクローン病やがん、アルツハイマー病などだ。
私たちはラパマイシンを使うことで、自分の身体に備わっているが、うまく利用できていないために寿命を縮めてしまっている機能を目覚めさせ、それによってもっと長く、健康で生きられるようになるかも知れない。
ここまでの説明で、ラパマイシンを「若さの源」と感じた読者がいるかもしれない。私たちは、寿命を延ばすためにこの薬を飲むべきなのか。必ずしもそうではない。
なぜなら私たちに必要なのは、自分の身体に備わっているオートファジーの力を十分に発揮できるようにすることだからだ。もし、ラパマイシンがオートファジーを介して成人病のリスクを低下させ、健康を強化するとしたら、私たちはオートファジーがどのようなものであり、どう作用するかを理解しておくべきだ。
③に続く
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