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フランツ・カフカ「変身」ー変化への期待

ここ数年小説にハマって色々読んでいるけれど、全てここ10年いないくらい、昔でも20年前に書かれたものを読んでいたので、「ちょっと昔の物語を読んでみたいなぁ」と思い、Amazonをなんとなく見ていたところ、行き着いたのがフランツ・カフカの「変身」でした。カフカはドイツ人で、川島隆さんが新たに翻訳したものを読みました。「変身」の初版発行は1915年。今から110年くらい前です。

主人公のグレゴールはブラック企業で働きながら自分の両親、妹を養っていました。しかし、ある朝目覚めるとグレゴールは芋虫になっていて…!
息子が!お兄ちゃんが!一家の稼ぎ頭が!芋虫になっている!どうすればいいの!?ってお話です。

人間と同じくらいのサイズの芋虫になったようです。
今だったら「兄が芋虫になりました」とかでYouTubeチャンネル開設!ってなるかもしれないけど、当時はそんな選択肢もなく、一家はただひたすらパニックです。

ここからだんだんネタバレっぽくなっていく&最後の結末にも触れるので…物語自体は2時間くらい?もう少し?あれば読み終わるものなので、読んでみようかな?と思う人は続きは今度お読みください。

家族の稼ぎ頭が芋虫になってしまう。突然の、この先どうなるかわからない、生活に大打撃を与え、改善策がいまいちわからない出来事に対面した時に、人はどのように対応するのか?その様を描いた物語だった。

妹はこれから改善できるかも?兄が元に戻る時が来るかも?と未来の可能性にかけて、目の前の状況に対応した。

グレゴールが芋虫になった時、部屋と外を繋ぐ場所は全て内側から鍵が掛けられており、信じられない出来事だが、大きな芋虫はほぼグレゴールだろう、という状況だった。

母は現実を直視しない。グレゴールだとは認めない。目を背け続ける、という選択をした。

父は、芋虫は元グレゴールである、一家は今までずっとグレゴールに支えてもらっていたという事実は全くどうでもいいことで、目の前に気持ち悪い芋虫が突然現れ、グレゴールがいなくなってしまったことへの不満感・不安感を露わにする。自分たちの生活がどうにかキープできればそれでいいという精神で、その邪魔になるものは、たとえ元グレゴールであっても、排除していく、というタイプ。血も涙もないタイプかな?

そして、芋虫になってしまったグレゴールは気持ち悪い自分の姿で家族を怖がらせないように、最大限配慮しながら、絶望の芋虫状態にも次第に慣れ、芋虫の体を楽しみながら日々前向きに生きていた。その姿が健気で可愛く、読み手の私はグレゴールに魅せられていく。グレゴールのおかげで読書がすごく楽しかった!シュールさにハマる?久しぶりに「今読んでいる本が面白くてさぁ」と誰かに話したくなった。

物語のタイトルは「変身」で読者の多くは「グレゴールはさなぎになって、別の姿、元の姿になるのかな?」「きっと何かのきっかけで元に戻るだろう」って期待を込めて読んでいたと思う。私もそうだった。グレゴール、いつ変わるんだろう?って。

しかし、期待も虚しく、怒ったお父さんがグレゴールに投げつけたリンゴと家族の無関心により飢餓状態になったグレゴールは死んでしまう。

最初はグレゴールを心配していた家族も、グレゴールが死んだ時には「やったー!死んだぞー!これで普通の生活ができる!」って大喜びで、新しい生活に胸を高鳴らせるところで物語は終わった。

「え?終わったの?本当に?」ってびっくりしたけど。

変化に期待して生きることの無情さを描いた作品なのかな。

努力は報われる。
待っていれば戻ってくる。
キラキラした言葉もあるけれど。

そういうことが訪れずに、終わる物事もある。
人生はそういうことの方が多い。
グレゴールの家族がグレゴールの死に大喜びだったのは切なかったけど、「死」を持って、終わりが訪れたことがすごくラッキーだったかもしれない。

人生は努力でどうにかなる部分もあるけれど、努力でどうにもならない虚しいこともたくさんある。ただ、その虚しいことへの向き合い方は様々で、妹のようにそれでも何か働きかけるのか、母のように見ないふりをするのか、父のように怒るのか。それは人それぞれ。各々の振る舞いが魅力的かどうか?本人が楽かどうか?が大事。問うことを、ある日突然芋虫になる、というシュールな状況から描いた作品でした。





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