自宅で死ぬための大会議 ① 家で死ぬのはなぜ難しくなったのか?
文芸春秋10月号に「自宅で死ぬための大会議」が掲載されている。大会議と言うほど大袈裟な記事ではないが、昨今の当方には身近な(?)話題であり、筋が整理されて分かりやすく、参考になります。
出席者は次の4名
三砂ちづる:津田塾大学名誉教授・作家、
石川結貴 :ジャーナリスト
甚野博則 :ノンフィクションライター
山中光茂 :医師・しろひげ在宅診療所院長
全体の流れは在宅診療医師の山中氏がリードし在宅での看取りを経験した三砂さん、石川さんが経験を話し、甚野さんはヒアリングした知識を披露している。以下、4回にわたって、要点を抜粋してみます。
① 家で死ぬのはなぜ難しくなったのか?
三砂:簡単に言うと、医療が普及したからです。国民皆保険制度が実現した1960年代から、生まれる場所と死ぬ場所が家から病院に移行しています。・・・生活の一部であった死は生活の外にある医療の場へと移っていくようになりました。
石川:・・・加えて家族の形態が劇的に変わったことも要因の一つでしょう。70年代に核家族化が進み、今では三世代同居はほぼ消えています。家で介護して看取ることは、時間もお金も労力もかかりますから、家族に密接な関係性がないとなかなかできるものではありません。
生活から死が消えた
山中:私が患者さんを初回訪問すると、ご家族は十中八九「家で看取れるとは思いません」とおっしゃいます。日本では1976年に自宅看取りが病院死より少なくなり、2020年の統計では70%近くが病院死です。施設で亡くなる方は10%ほど、今や日本の自宅看取り率は先進国で最低レベルです。
三砂:家での看取りは詰まるところ、「死を生活の場に戻すこと」なのですが、そのように発想を転換することが医療側にも家族側にも難しくなっています。
山中:在宅診療というと、「病院が匙を投げた人がお世話になるもの」とか「延命治療を諦めた後でお願いするもの」と思われがちですが、実際には在宅でも痛みや苦しみをほぼゼロに近づける高度な医療技術を持っていますし、それによって延命もできます。