朝の乗り過ごし
2012年4月の日記です。
夜の宴席の帰りに電車を乗り過ごすことはままあるが、
出勤途上で乗り過ごすようになっては、世も末か。
今朝、通勤途上の電車で、何時もの如く文庫を読んでいたが、
何処かの駅に到着したので、外を見ると見慣れない景色だ。
慌てて降りると、幸い乗り過ごしたのは一駅だった。
仕方がない、向かいのホームで反対からの電車を暫し待ち、
本来の駅に着いた時は、いつもより15分ほど遅い。
普段は、駅から会社の通勤バスに乗るのだが、
勿論間に合わず、とっくに発車した後だ。
タクシーで会社に向かい、普段よりはやや遅れたが、
さしたる問題はなく、平静を装って席に着いた。
この会社に就任した時、車と秘書は要らないとして、
一般社員と同様に電車と通勤バスで通っている。
バスに一緒に乗る人は、当初は迷惑そうな顔をしていたが、
今は慣れたようで気にしていない(と思う)。
マキャベリは「君主たるもの、けちとの評判を恐れてはいけない。」
と言っている。
私1人が車と秘書を止め、交際費を節約したからといって、
いかほどでもないが、部下に後姿を見せているつもりだ。
ところが、会社でけちだと個人としては反動があるようで、
無駄としりつつ散在する事が多い。
日々の飲食や買い物程度ならさしたる事もないが、
それではすまず・・・振り返ってみるといろいろある。
けちと、散財、それに加えて通勤電車の乗り過ごし、
呆けの典型のような気もするが、
自覚しているうちは、まだましなのだと、自らを慰める日々。