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新潟時代4. 人事の失敗

 2001年、事業方針にのっとって、先ず溶融シリカからの撤退に着手した。
 
 溶融シリカ事業は自然界に存在するシリカを、加熱して溶解し、結晶構造を変えて溶融シリカとして販売する。原料は全て輸入、大規模な溶解炉は一度稼動させると、簡単にとめられない。向け先の大半は半導体の封止材だ。
 
 日本のマーケットは、ほぼ中国製の溶融シリカが占めている。価格が圧倒的に安く、日本メーカーの入る余地はほとんどないのだが、需要家によっては中国製の供給にやや不安があるらしく、少量を当社から購入している。収支はやや赤字、原料のすべてが輸入だから、円の昇降に収益が左右される。
 
 溶融シリカ工場を休止すると、その職場で働く人の行き先を考えねばならないが、何とかなりそうだと、休止を宣言した。営業が主要な販売先に了解を得るべく説明して回ったが、最大顧客のA社には私が行った。先方の社長は大筋で了解してくれたが、この取引は、元々当社の親会社(大手鉄鋼会社)の社長との話で始めたので、親会社の社長と話しをしたいとのこと。大袈裟だとは思ったが、止むを得ない。親会社社長のアポイントをとり、A社社長と一緒に面談し、話しは無事に終了、溶融シリカ工場を公式に休止した。
 
 作業員は他の製造部門に配置替えしたが、技術の責任者S君の行き先に苦慮した。事業からの撤退は時の運であり、S君には何の責任もない。むしろそれまでの安定した製造に、彼の力は大きかった。S君を冷遇すると会社全体の雰囲気によくないだろうと、彼の人となりを信用して主要事業のひとつである冷間鍛造部門の製造責任者に抜擢した。
 
暫くは落ち着いていたのだが、3カ月ほどたつと、S君と現場との確執が表面化した。S君は現場がだらしないと、感情を露わにして私に報告する。現場に行って、キーマンに訊くと、黙っているだけで何も言わない。このままでは、現場のモラルが下がるばかりだから、止むを得ず、S君を外したが、直ぐに行き先があるわけではない。暫くして、S君は会社を辞めてしまった。
 
 冷遇するわけにはいかないと、逆に昇格させてそれなりの責任者にしたのだが、それが逆に本人をつぶしてしまった。全ての責任は人事を決めた私にある。人は、ある分野で優れた実績をあげているからと言って、直ぐに別の分野、立場に適応できるとは限らない。もっと深く考えるべきだと心に刻んだのだが・・・・実はこの10年後、つぎの会社で同じような人事の過ちを犯したことがある。いまでも、迷惑をかけた何人かの顔が目に浮かぶ。

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