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青臭い作家のままだった

 引続き、文芸春秋8月号の特集「昭和100年の100人」から、
「石原慎太郎 ―ありがとうな― (作家北方謙三)」を紹介します。
 
 例によって冒頭のト書きは・・・・
 石原慎太郎(1932~2022)は、作家・政治家として大きな即席を残した。作家の北方謙三氏(1947~)が、石原文学と人物の核心に迫る。・・・・そうだ。
 
 石原慎太郎は皆さんご存じとは思うが、簡単に紹介すると・・・・
一橋大学在学中のデビュー作「太陽の季節」で芥川賞を受賞、同映画化で弟の裕次郎をデビューさせる。「弟」はミリオンセラーになった。
 1968年、35歳で参議院議員に当選、環境庁長官、運輸大臣を歴任、1999年、東京都知事に当選、以降4期16年間都知事を務める。その間、新銀行東京、首都大学東京の設立、外形標準課税の導入など論議を呼ぶ政策を実施した。2012年、17年ぶりに国政に復帰したが、2年後、2014年に政界から引退した。
 実弟はご存知の石原裕次郎、長男は石原信晃、次男は石原良純、三男は石原宏高、四男は石原延啓(画家)。
 
 北方謙三氏は長く直木賞選考委員を務めるなど、今の日本を代表する作家、大御所だ。ハードボイルドに始まり、日本、中国などの歴史小説など作品の幅が広い。「三国志」「水滸伝」はただただ面白く、一気に読んだものだった。今でも長編を執筆中だそうだ。石原慎太郎より15年ほど若いが、生前から親交があったようで、そのあたりのエピソードを紹介しており興味深い。
 
 以下石原知事から寿司屋に呼び出されと時の話を転記します。・・・
 石原さんは私の「三国志」をまったく評価していませんでした。「あんなもの人が書いたものを書き直しているだけだろう。北方はハードボイルドがいいんだから、お前の文体で純恋愛小説を書け」と、説教が、始まるのです。
 ・・・「俺はおまえの文体が気に入っている。おまえの文体でこういう毒のある純愛小説を書け」と繰り返すのです。「自分で書けばいいじゃないですか」と反論したら、「そんなことは分かっているよ。でも俺、東京都知事だぞ。いそがしいんだよ」と返されました。
 実は都知事時代も毎日石原さんが何かを書き続けていることを、私は知っていました。・・・でも同時に、あの20代のみずみずしい感性が永遠に失われてしまったことを本人が理解していることも知っていた。
 
以下、私の勝手な思い込みだが、若い新進気鋭の作家が年代を経て当初の青臭さを失い、面白いけれどもそれだけ、と言った作品になる例がとても多い、というより、それが一般的かもしれない。

 記事の最後で、北方氏は以下の如く結んでいる。・・・
 石原さんは35歳で政治家になったので、ある意味、青臭い作家のままでいることできたのだと思います。つまり、作家としての腕は落ちても、歳はとっていなかった。これは非常に稀有なことです。
 作家だけを続けていたら、きっと自家撞着を起こしてしたと思いますが、それでも石原さんは最期まで文人でありたかったのだろうと想像しています。
 
 

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