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漆黒の世界

 9月30日に行われた王座戦第3局は、最終盤に藤井聡太君が、あっと驚く大逆転で、挑戦者の永瀬九段に勝ち、王座を防衛した。
 
 王座戦はタイトル戦としては比較的持ち時間が少なく、各5時間、一日で終る。朝9時にスタートし、昼食休息、夕食休息を挟んで夜に決着がつく。序盤はお互いに仕掛けの隙を見せず、千日手模様だったが、後手の藤井君が桂を四5に跳ねて局面を打開した。中盤から終盤まで永瀬九段が徐々にリードを広げて最終盤に入り、永瀬九段の必勝形だったが、最後に藤井君の放った手裏剣(九6香)の王手に対し、永瀬九段は当然と見える九7歩、ところがこれで藤井君の王の即詰みが消えてあっと言う間に大逆転、藤井君が勝った。
 
 挑戦者の永瀬九段は現在32歳、藤井君のプロデビュー以来、永瀬九段が誘って2人で頻繁に練習対局を行って研鑽し、お互いに将棋も人となりもよくわかっている。永瀬九段は1年365日毎日10時間ただ一筋に将棋を勉強し、棋士仲間では軍曹と言われている。その永瀬九段が、王座戦第2局で藤井君の四6香に対応できずに負けた後、親しい記者のロングインタビューに答えている。常人にはうかがい知れない話しが興味深いので、以下に抜粋します。
 
 藤井さんを人間と見てはいけないんですよ
「時間がたつとどうしても和服が着崩れするんですけど、ここをこうすれば絶対に脱げることはない、と和服の構造がわかるようになったんです。でも私はそれを残念だなと思ったんですよ」
「私が自分の頭をよくしようと思ったのは、・・・ 将棋のために頭をよくしたかったのに、いろいろなことに対してバランスよく能力を上げてしまって、一般人レベルの生活ができるようになってしまった(笑)。そこがちょっと悲しかったんです」
「人間としては一流になれるかもしれませんけど、将棋の超一流にはなれないのかもしれないと思うようになりましたね。人間らしさで勝負するのは、対人間なら通用するでしょう。でも藤井さんを人間と見てはいけないんですよ。やっぱり藤井さんみたいな超一流になるには、将棋だけに没頭していた頃に戻らなきゃいけない。なんというか、その頃って漆黒の世界にいたような感じなんです。でも自分はその後、人間らしくなったというか、彩のある世界を知りました。知った後でまた元の世界に戻れるのかどうか」
 
「今日人生が終わっても…」そんな気持ちで指せていなかった
「若い頃の自分は、何かを掴もうとしていました。本当に必死だったから、谷底のような暗いところが自分の居場所でも怖くなかった。というより、そこしか知らなかったんです。でも今日の対局を終えて思ったのは、私は今の地位に満足してしまっているんだなと」
「タイトルを獲得した棋士が満足してしまい、モチベーションが減退してその後、活躍できなくなるような感じでしょうか。今の自分はハングリーな気持ちが明らかに足りない。現状に満足してしまうのがまさに人間なので、人間の面を捨てなきゃいけないんです」
「多分、勉強時間はこれ以上、増やせないと思います。大事なのは、漆黒の世界で生きていく覚悟をすることでしょうね。私は覚悟ができている時はいい将棋を指せていると思っています。言い方が正しいかはわからないですけど、『今日死んでもいい』という気持ちで将棋を指せているかどうか。今日で人生が終わるならば、全部を出し切るでしょう。でも今日の私はそういう気持ちで将棋を指せていなかったんです」
「その漆黒の世界というのは、言葉を捨てるイメージなんです。私はこれまで言葉を獲得することに自分の資源を使ってきました。これってまさに人間的なことなんです。少し前に受けた『将棋世界』のインタビューは、自分の人間らしさがよく出ていたのかなと思います。嘘偽りはなくて自分の本心で話したことですけど、今後はその部分は捨て切らないといけないと今日、痛感しました。言葉が必要なければその資源を別のこと、つまり将棋に回せるでしょう・・・」
 
 以前、広瀬九段が藤井君に対向するには、人間を捨てないといけないが、自分には出来ない、と言っていたのを思い出した。

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