藤原正彦氏「内に静かに語りかけるもの」
毎月の文芸春秋の巻頭は7,8人のエッセイ(2~3000字ほど)だが、いつも最初は数学者の藤原正彦氏だ。彼の論理思考は少々偏っているとは思うが、10月号の文は分かりやすく、一面の真理を語っている。
藤原氏は1943年7月生まれだから私より3学年上の80歳、新田次郎、藤原てい夫妻の次男として終戦前の満州で生まれ、旧ソ連軍から苦難の逃避行の末、福岡にたどり着いている。都立西高から東大理学部に入り、数学科を卒業、以降、数学者として歩んでいるが、エッセイストとしても知られている。
2005年の「国家の品格」が200万部を超える大ベストセラーとなり、一躍世に名前を知られることになった。数学者の立場から、「論理より情緒」・「英語より国語」・「民主主義より武士道」なのだそうだ。
で、10月号の文芸春秋に掲載された、彼の文を要約すると・・・・
日本は、明治維新以降、日清・日露戦争で勝利し列強と肩を並べ、全国民が初めて国家と一体になった。ところが、大目標を失った国民、特に青年層は天下国家や立身出世から遠のき、文学に向う者、内省にこもる者などが多く出た。
この虚脱感を埋め、弛緩した精神を引き締めようと、明治44年に立川文庫が刊行され、庶民向けにも同時期に講談社が講談本を刊行し始めた。講談の根っ子には武士道精神の中核が息づき、道徳教育であり人間教育であった。
一方、エリートの教養は異なる方向に向かった。明治末期、一高が西洋的教育にかじを切ると、これに呼応するように、岩波書店が、教養層向けに、漱石「こころ」、阿部次郎「三太郎の日記」、倉田百三「愛と認識との出発点」など、哲学、思想、西洋の名著を次々と出版し始めた。こうして庶民は日本的教養、エリートは西洋的教養と乖離していった。
以下、藤原氏の文の最後を転記します。
庶民の日本的教養は、勇気、誠実、礼節、卑怯を憎む心、孝心、惻隠、もののあわれなど情緒と形であった。一方エリートの西洋的教養は、近代社会の成立に不可欠な自由、平等、人権、論理などを軸とするものであった。
ここで気づくのは、日本的教養が自らの内に静かに語りかけるものであるのに比べ、自由、平等、人権などは外に声高に叫び勝ち取るものということである。後者では正義を主張するために論理が用いられる。異なる論理は異なる正義を生み正義対正義の抜き差しならぬ闘いとなる。どの戦争でも双方に正義は在るのだ。こう考えると、江戸時代までの我が国が概ね平和であったことと、近現代の西洋が今日に至るまで戦乱に次ぐ戦乱であることが、必然と思えてくる。
必ずしも全面的に賛成はできないが、昨今のウクライナ、ゴザを見るとお互いが正義は我にありと信じているのは間違いなさそうだ。