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NHK俳句「梅」
先日日曜日のNHK俳句の選者は木暮陶句郎さん。俳人であると同時に陶磁家であり、番組では題に応じて作成した陶器が紹介されている。ゲストは野崎海芋さん。こちらは俳人と料理家の二刀流、木暮さん作の陶器に料理を盛り付けて、紹介されている。
兼題は「梅」、以下、全国から応募された句から特選九句と、木暮さんと野崎さんがコメントを紹介します。
梅真白 誓ひしことを また誓ふ (浜口芙蓉)
(野崎)前に誓ったが守れなかったことをまた誓う、ささやかな日常的な事だと思う。梅真白との取り合わせが身近な感じ、自分を少し引いた感じで見ているところにユーモアが生れている。
(木暮)毎年梅の香りを感じると、これやらなきゃと思いだす。梅真白という季語が効いている。
盆梅の 兜太と汀子 日に並べ (野々宮哲也)
(木暮)兜太と汀子は、俳句界のレジェンド金子兜太さんと稲畑汀子さんの事、白梅を兜太さん、紅梅を汀子さんに例えている。偉大な俳人二人を作者が世話をしている。そう言う面白さがある。白梅と紅梅が輝いている。
夜の梅 ベテルギウスは 消えるのね (平岡卯訪)
(野崎)オリオン座のペテルギウス、いずれ星の寿命はつきて消えてしまうと言っているのか、あるいは春が来るのでオリオン座の見える季節が去っていくのか、どっちなのかなと思うけれど、壮大な宇宙を思いながらさりげなく夜の空気に梅の香りを感じている対比がいい。
(木暮)夜の梅の向こうにペテルギウスが見える。ペテルギウスは見える星の中では一番早く爆発して消えそうな星。それを作者はご存知で、ペテルギウスは10万年後か、何10万年後かに消えるけれど、梅の香りもやがて消えて、私たちも消えていく、そう言う思いまで込められていて、非常に奥深い句。
梅固し 風のヒルズの 碧(あお)き 玻璃(はり) (小西謙作)
(木暮)ヒルズ族という言葉が流行りましたね。高層マンションのはざまにある梅を見て、まだ日も当たらないし梅も固いなと思い、目を上に向けると窓ガラスに青い空が映っている。描写がとても見事。
梅日和 けふは喧嘩を せぬと決め (古口栄子)
(野崎)けふは、ということはほぼ毎日喧嘩をしているということ、兄弟げんかなのか、夫婦喧嘩なのか分かりませんが、今日は仲良くしましょうと言っているところに家族の関係性があり、暖かい句だと思います。
(木暮)決めたけれど、どうなるか・・・・といった日常を切り取っているのが上手い。梅日和という言葉が効いている。
梅ふふむ デブリそのまま 十四年 (黒澤正行)
(野崎)とても重い句、東日本大震災から14年、原発の燃料デブリのことと思います。それでも故郷には海がほころんできて春が今年も来るのだけれども、そのまま残されているデブリをどこか肌に感じながら、暮らしている。
(木暮)ふふむは蕾がまだ開き切らない状態のこと、梅は毎年変わらず、必ず咲いてくれる、そういったなかでデブリはまだ残っている。いつか処理しなければならないのに、まだ未処理の状態、いつ解決するのかといった不安感からこの句が出来た、作者の思いが込められている。
三席
五分咲きの 梅を残して 引越(ひっこ)せり (横堀正雄)
(野崎)引越せりといういい方は、おそらくもうこの家には戻ってこないのかもしれない、もしかしたらお家を処分されるとか、そういうご事情かもしれません。毎年親しんだ梅がまだ満開ではない、名残惜しさもあるけれど、引越せりといいきっているのは、きっぱりとした決別の気持ちもあるように思う。
(木暮)後ろ髪を引かれるような思いで、トラックで荷物をまとめてその場所から去らなければならない、ドラマのワンシーンのような光景。
二席
子が触れる 幼き我を知る 梅に (辻佐和子)
(木暮)自分が子供の時に触っていた梅に自分の子供が触れている、梅にドラマがある。
一席
梅が香や 夢の欠片(かけら)の ふと疼(うず)く (田中和行)
(木暮)若い頃に思っていた夢がかなわなかった、もう少し頑張れば夢がかなったかもしれない、欠片と言っているので元に戻らない。もう実現することはないと自分で思っている。でも、その夢は子どもや孫たちに繋いでもらいたい。そんな思いもあるのかなと感じた。
三席の「庭に梅の木を残して引越せり」では、5年前に横浜の家の処分が決まり、最後に一家でお別れした時の情景と重なり、庭に梅や桜の花が咲く様や、庭の砂場で遊ぶ息子達の様子などが蘇り、暫し想いに浸った。次にそのあたりの情景、思いを述べてみる。