上場企業14.人事の失敗
当社(の規模)では、役員、部長クラスの人事は殆ど社長の専権事項であり、1年を通して諸々の情報を聞き、自分で見て確認し、その時に備えて考えているが、結果から見ると失敗は少なくない。なかには、その人の会社人生を左右する後味の悪い失敗もある。
当社は水道管のメーカーであり、埼玉久喜市の工場で直管を製造しているが、水道管路は直管だけで成り立つわけではなく、管路の向きを変える、管路から枝管を出すところなどに接手管を使う。受注は管路単位だから、直管に加えて接手管も同時に供給しなければならない。
当社の接手管は群馬県の子会社で製造している。職場の70%程度はリーダーを含めて外国人で占められている。彼等は全員社宅に住み、出身も同じでチームワークがいい・・・・ように見える。残りの30%程度は鋳造、検査などの主要部門であり、日本人が働いている。特に鋳造職場のリーダーは経験豊富で誰にも代えがたく、会社の宝のような人だった。
社長には代々、当社から部長、役員クラスを送っているが、私の時代にその社長が所定の年齢になり退任するので、次の社長を決めなければならない。色々議論はあったが、私は当社から送らずに、プロパーの製造部長を社長に昇格させて、製造部長も今まで通りに兼務すればいいではないかと提案して了解された。会社を訪問した時にいつも彼が現場を案内して、的確に説明してくれるし、人柄もよく現場の人達とも関係がよさそうだった。会社の役割は当社から提示された接手を製造することで、自分で販売する必要はないから問題ないだろうと(軽く)考えていた。
新社長でスタートし、暫くは何も聞こえてこなかったが、半年後のある日、新社長が辞めたいとの話が伝えられた。社長業務の重圧に耐えきれず、精神的に参っているとのこと。それではやむを得ないだろと、当社の部長クラスから次の社長を選んでその旨、先方に伝えてもらうとホッとした・・・・らしい。根っからの真面目な人柄が故に、当社からの諸々の全てに応えなければならないと(私から見ると)勘違いしているらしい。社長が私に挨拶に来て、謝罪らしきことを言ってくれたが、こちらが謝りたいくらいだった。
結果から見れば、私の人事の失敗で、彼を辞めさせてしまった。後で聞いた話では彼は地元の地主でそれなりの土地を持っているので、生活は大丈夫だろうとのことだった。社長としての人事の失敗は少なくはないが、当人が会社を辞めたのは、新潟時代にも一件あり、今回は2件目だった。会社経営で最も難しいのは人事・・・・が実感だ。