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京都と本のエッセイ「きっと何処かは、はじまりの地。」#1

 これは、2020年の夏、コロナウイルス流行の最中で、本を読み街を歩くことに明け暮れていた一人の学生が「せっかくだから、この暮らしのことを文章にしておこう」と思い立ち、「エッセイって思っていたより書くのキツい・・・すこし寝かしておいてあげよう、まだ眠そうな顔しているもの」などと宣い挫折した、その記録です。#2が書かれる日は来るのか、わたしにも分かりません。文章についても、この頃ハマっていた「悪漢っぽい喋り言葉」の影響を受けすぎていて、見るに堪えません。まったく、恥ずかしい。
 許されるのなら、あなたがエッセイを読む気を失うまで、だらだらと前口上ばかり喋っていたい。でも、ね、せっかくの初投稿なのだし、あんまり格好がつかなくなっても、困る。というわけで、ちょっと読んでいってください。なに、買い物カゴに発泡酒を放り込むくらいの気持ちで構わないんですから。くれぐれも、ちょっと良いビールを飲もうなんて気持ちでは読まないでください。どんなビールかって? バドワイザーに決まってるでしょ。

本:宮本輝『草花たちの静かな誓い』
処:京都市上京区 薬師町・観世町

 風が吹けば桶屋が儲かる。風が吹いたら砂が舞う、砂が舞えば目が見えない人が増える、目の見えない人が増えれば三味線引きの需要が高まる・・・とあれこれバタフライ効果が働いた結果、江戸においては桶屋が儲かった。対して現代の京都においては、雨が降れば古本が安くなる。西陣の古本市場では「雨の日クーポン」が発行される。500円以上のお買い上げで100円お値引きさせて頂きます。なんてありがたいクーポンか。なんて素晴らしいアイデアか。ねぇ古本市場西陣店さん、あなたってホントに素敵よ。アタシね、チークを踊る相手がいないの、ねぇったら・・・・・・。

 そんなわけで素晴らしいクーポンの恩恵に与るべく、俺は市バス59系統に乗って今出川大宮へ向かった。京都の素晴らしいのは地名だ、と思う。イマデガワオオミヤ。いちいち格好良すぎやしないか。こんなイカした地名だ、きっと簡単に郷土愛が育まれるのだ。なんて、そう単純なものではあり得ないのだろうけれど。その今出川大宮のバス停から、ほど近いところに古本市場はある。店に入ってすぐ、右手にある階段を上って、そのまた左へ。山のような文庫本たち。彼らが押し込まれたように並ぶ北側の本棚に、俺のお目当ての本たちは居た。

 宮本輝。俺が生まれる20年以上前に芥川賞を受賞した大作家。難解そうなタイトルと重厚な雰囲気の表紙。なんとなく手に取れないまま何年経ったか。安曇野のカフェで短編集『星々の悲しみ』を手に取ることがなければ、今も彼の小説世界で溺れかけることはなかっただろう。ほんとうに溺れそうだった。言葉が、文章が、物語が。まるで海水のように、俺も気づいていなかった傷口に滲みた。青年のジレンマ、失われる時間の、その、光芒。

 迷いながらも3冊の文庫本と写真集を手にレジへ向かう。天下の雨の日クーポン様のおかげで手頃な価格で本が買えたので、ここらでお茶でも飲んでいこうか、なんてことまで思う。機嫌をよくしていたのだ。これがいけなかった。よくよく店のリサーチもせずにそれなりに歩いて訪ねたカフェはCLOSED、段々と強まる日差しに蒸れたアスファルト、流れる汗が染みこんだマスク、本の重さに痛む肩・・・。
 これ以上外を歩いてはいられないと、晴明神社前のバス停でグーグルマップを開く。歴史に名を残した偉大な陰陽師も、自分を祀った神社の前で田舎生まれの学生が「ここの神社休めるところねェかな、あっつ、畜生が」などと失礼極まりないことを考えているとは、思いもよらないことだろう。ていうか気づかれてたらどうしよう。夢の中でとんでもない目に遭わされるやもしれぬ。
 とにかくどんな店でも良い、落ち着いて涼めるところであればと、営業中であることのみ確認して近くの珈琲店まで歩いた。考古資料館の側、車が一台通れるほどの路地に入ると、その店はあった。店の名前は「珈琲店 逃現郷」。淡い紺色の暖簾、その奥のシックな扉。どんな店だろうか、などと頭を回す余裕もなく店内へ入る。

 店内は奥に伸びた造りであった。カウンター席と幾分かのテーブル席。店主然とした男性、幾人かの客たち、品の良い調度品、大きすぎない本棚・・・どれもこれもが洗練されたものとして俺のイメージを刺激した。今は居ないが、こんな瀟洒な珈琲店にゃデキるオトナがたくさん来るんじゃァないか。一応手前なりに気を遣ってはいるが、俺のような野暮ったい学生風情が来てはいけねェのではないか。次々と自分に不利なイメージばかりが浮かんだが、どうにか妄想の手綱を引き、気を静めてテーブルに着く。気後れしている自分を意識しながらアイスコーヒーとチーズケーキを頼んだ。本当ならオムライスが食べたかった。だが店の雰囲気に呑まれまくった俺の頭の中は「ケーキくらいにしておかねば、こんな洒落た店でがっつり食ってられねェぞ」という考えで一杯だった。
 注文をとった店員が離れていくのを待って、鞄の中から文庫本を取りだした。宮本輝による長編小説『草花たちの静かな誓い』。今年の集英社文庫のフェア・ナツイチの対象書籍にもなっている1冊である。小説家を知るには短編のみでは不十分だよな、「星々の悲しみ」の次は長編を読もう、と考えて買い求めたのだ。500ページほどの小説だ、中々長い旅になるな、ここに居る間に導入程度は読んでおこう、そうして勢いのついたところで自室に帰る・・・。
 およそ軽い気持ちで読み始めた『草花たちの静かな誓い』は、俺より十歳は上の主人公が、アメリカ在住の叔母が来日中に急病で亡くなり、それに伴う手続きなどのために、ロサンゼルスへ飛ぶところから始まる。そうして主人公・小畑弦矢は思いがけず叔母の全財産、4200万ドルという莫大な資産を相続することに。しかし弦矢は同時に、亡くなっていたはずの叔母の娘・レイラが実は行方知れずになっていたという事実をも知ることになり・・・。
 これが、導入で止められるはずがなかった。なんて面白いんだと胸を躍らせながら読んでいく。すでに運ばれて来ていたアイスコーヒーとチーズケーキを楽しみながらも、ページを捲る手と文字を追う目は止まらない。思いのほか酸味のあるチーズケーキ。コーヒーによく合うなこれ、自然と目を瞑っていた。平生の癖であごを反らす。美味しいものに出会うたび、俺はこのポーズをとる。この時点でもはや他人の目線など気にならなくなっていた。店への苦手意識などはかない縁であった。「逃現郷」の居心地の良さがしみじみと感じられて、自分がその空間をとても楽しんでいることに気づく。
 小説がちょうど第2章に差し掛かろうとする頃、店の名前の由来となったであろう桃源郷、その基となった故事「桃花源記」のことを、俺は思い出していた。あの話ではたしか、漁師がこの世のものとは思えないほど美しい桃花乱れる秘境にたどり着くのではなかったか。そして再訪する積りでその郷を離れるが、二度とはその地を見つけることはできない・・・。ひょっとすると、俺もあの漁師と同じように、二度とここを訪ねることはできないかもしれねェな。再びあのチーズケーキを。そう思って「珈琲店 逃現郷」を探してみても、一向にこの場所は見つからない。探すのに疲れ、期待するのに疲れ、ついに思い出すのにも疲れてしまい、俺の記憶から「珈琲店 逃現郷」は消えちまうのだ。一度そう考えてしまうと、どうしてもそこを離れることが寂しく思えてしまった。仕様がない、もう少し居てやろうじゃァないか。コーヒーのおかわりを頼み、小説が良き場面を迎えるのを待つのだ。
 そうして一刻と半時ほどが経った頃、小説の第2章も読み終わり、俺の意識は京の都の珈琲店へと帰ってきた。はるばるロサンゼルスの豪邸から、である。

 2杯のコーヒーとチーズケーキ分の支払いを済ませ店を出た。後ろ髪を引かれるような気持ちを押し込めて、バスに乗るべく大通りへと歩き出す。「珈琲店 逃現郷」の方を振り返ることはしなかった。本当に店ごと消えてしまったら、どんなに恐ろしい心持ちか・・・という懸念もあったが、それ以上に、俺は恐れていることがあった。ここで振り返ってしまえば、「消えてしまうかも」という可能性すら、いよいよ失ってしまうことになる。そのことが恐ろしかった。梶井基次郎の『檸檬』の主人公、あいつもこんな気分だったんじゃァなかろうか・・・なんて夢想まで働いた。しかし、もしかすると本当に、あの主人公は二度と丸善には行かなかったやもしれぬ。いや、行けなかった。近づくことすら。そうに違いない。だってそれは、彼の心の「えたいの知れない不吉な塊」を、再度呼び戻すことと同じなのだから・・・・・・。
 ついに自室へ帰るまで、俺の夢想は止むことを知らなかった。この長い外出のために、前日の、火事への恐怖感情は消えていた。これを書いている今、『草花たちの静かな誓い』を読み始めてから30時間以上経った今、「珈琲店 逃現郷」は、俺の恐怖感情と共に消えてしまったのかもしれないと思う。いいや、そもそもあの珈琲店は、活きの良い恐怖感情を吸い取ろうと、見えざる力で俺を誘っていたのではないか。

 手前の妄想、夢想、それら有象無象の全てが、みんなこの火宅に実体としてあれば、いったいどんなに面白いことだろう。そんな想いが今、目に見えぬ肢体を獲得し、観世町の大宮通りの一角で、俺を待っているような気がする。

2020/7/8

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