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2024年映画ベスト10(+1)
いかがお過ごしでしょうか。
年末です。
年間ベストとかやりたくなる時期です。
日本人は昔から相撲や温泉や大酒とかで番付を作ったりしたそうな。
今年の国内の映画は本当に面白いものばかりで、まだ見れてないもの含めて「見たかったな~」と後悔が残るのも国内の作品ばかりです。外から来る映画にはあまり関心の持てるものが例年に比べ少なかったように思えますが、個人の関心の問題かもしれませんね…
それでは、早速1位(の前に1本)から順繰りに記載いたします!
ストップ・メイキング・センス(圧勝なので殿堂入り枠扱い)
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もったいぶらずまず1位!といきたいところではございますが、まずその前に殿堂入りとしてトーキング・ヘッドのライブ映像を収めたこちら。
映像体験として群を抜いてインパクトがあったのが本作でした。
今回のレストアによって昨日行われたかのような(散々聴き倒して音は身体に沁み込んでいる筈なのに!)クリアな質感で繰り広げられるステージの臨場感と、音の分離の仕方がとてつもくダイナミックで、何よりもデヴィッド・バーンの動きの数々。
バンドのフロントマンというよりも、これほどまでに優れたパフォーマーであったのか!と汗を飛び散らし、シャツをぐしょぐしょに濡らしながら、クネクネ踊り、ステージを走り回る並外れた体力と体幹にただただ圧巻。
バーンのアイコニックさを再認識できるライヴ映像でもあるのですが、トーキング・ヘッズのメンバーやコーラスなどのサポートメンバー含め全員主役で霞んでおらず、改めて踊らせることに特化したバンドの演奏技術の高さを再認識させられました。
クリス・フランツのドラミングの粒立ちぶりもですし、特にティナ・ウェイマスのステップの可愛さったら!デカい音で聴くとよりメリハリの聞いた伸縮自在のプレイにシビれまくりました。トム・トム・クラブの曲を演るときのコーラス二人との絡みがまた最高にキュート。
レジェンドバンドでありながら、決してトーキング・ヘッドの内部自体は揉め事が絶えず(その大変はバーン自身の気難しさによるものらしい)修復不可能なまでに決裂していたこともあったところを、水に流して伝説の熱狂を蘇らせてくれたことにただただ感謝でございます。
体験として楽しかったんですが、これをランキングに混ぜると音楽的な快楽で圧倒的な加点が入ってしまうため、一旦殿堂入りで処理します。
1.夜明けのすべて
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もう多くの方が本作を今年見てよかった映画ベスト1位的なやつに入れられると思いますが、自分も漏れなく本作が1位です。
すべての瞬間が(誇張でもなく)奇跡に満ち溢れていた、光の恩寵を目や音、肌で感じる映画体験だったと思います。撮影監督月永雄太によるフィルム撮影が捉える、まばゆい日光から静まった夜空の闇まで様々なコントラストで切り取られた光のテクスチャの豊かさに触れるだけで泣けて泣けて仕方なかったです。
三宅唱の前作『ケイコ 目を澄ませて』では美しい静寂に観客を置き去りにして終わったのに対し、『夜明けのすべて』は栗田化学というアジールに射し込むやわらかな陽だまりをカメラに収め、アジールが世界に確かに在ることを実感させ、ずっとこの優しいユートピアを見てたいと思わせ、心地よい陽だまりの中へ観客をそっと置いていくのがまた『ケイコ』と違ったやさしさに思えました。
本作に関して書きたいことは下の拙稿に書いてしまったため、ここで改めて書くことも少ないのですが、自分の就労を巡る状況の変遷を差し引いても、三宅唱作品における一つの集大成(多分新作出るたびに使う常套句になると思うんだけど)と言いたくなる至極の1作でした。
2.悪は存在しない
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アーモンドのような瞳と長い髪が印象的な森の自然に近しい理知的な少女が、青いニット帽を脱いで、顔の全貌をスクリーンに晒し、遺骸を通して映画を見る観客ごと射抜くショットの視線の強さはあまりに鮮烈で凄まじかったです。(西川怜さんは今にきっとすごい俳優になるかもですし、別にならなくとも良いと私は思っています。本作に出演された俳優陣のようにいろんな人生があって良い。)
冒頭の空気中に刻み込むようなハイハットで一気に映画の世界に引きずり込まれ、石橋英子の劇伴に陶然とし、ところどころで見える正気が壊れそうな一瞬を収めたショット(薪割りのシーンは『タッカー&デイル』じゃん!となった)にギョッとしつつシートに身を深めていると、自然なる神に羽交い締めされ、さらに深い森の奥へ奥へ引き摺りこまれる。そんな印象を受けました。人間の知覚が及ばない力学が作用して、見えている世界が変貌していく瞬間を捉えた映像はホラー的でもありました。
黒沢清『CURE』の影響をかねてより公言してきた濱口竜介の『CURE』ではないだろうか、と思いました。つまり本作の巧は「便利屋」という名のコミュニティと自然の間を保つバランサーだったんだな、と思い、『CURE』の間宮を想起しました。
本作における川や水や森は、生態系であり組織でシステムと解釈したのですが、村の人々は水を汲み生活という小さな系に組み込み利用するのに対し、外から来た高橋はペットボトルの水をただ飲むだけ(それも怒りを抑えるためというとても自己中心的な理由)という対比には「濱口監督はなんて人が悪いんだ…」とニヤついてしまいました。
シネ・ヌーヴォで本作を鑑賞できたことも思い出深かったです。
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3.SUPER HAPPY FOREVER
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本作を見るという行為を通じて、旅先で記憶にとどめておこうとしていたのに、あれやこれや日々を過ごしているうちに忘却の彼方へ流れていこうとする、時間の断片を拾い集め再構築されていくようでした。
私も今年伊勢と直島と海のある場所に旅をしていたので、そこで見て感じた、海のきらめきや水平線を眺めながら聞いた潮騒、フェリーでの浮ついた心、砂浜での名前も知らない人とのふとした会話、仕草、声色がバーっと浮かんできました。なかなかない鑑賞体験に思います。
なんでこんなにいろんなことが浮かぶのだろう?と考えたときに、やはり本作において特筆すべきは、本作の主役は登場する人物の誰でもない、そこに流れる時間そのものである、ということになるのではないでしょうか。
被写体との距離感とフレーム内であえて事物をコントロールしない(雷のタイミングの絶妙さ)撮影が奇跡的で素晴らしかった。
ありふれた出会いの、本当に何気ない本当に何の変哲もない瞬間のすれ違いをここまで繊細かつ鮮明に描けるとは。凪と佐野が信号で再開するシーンのその可笑しみと奇跡的な大胆さにはぞくりとしました(映画を見るとわかりますが、めちゃくちゃすごいタイミングで信号が変化します)。
京都シネマで鑑賞時たまたま監督のお話が聞けてサインまでいただけた(その上稚拙な質問に快く応じていただいた)のが印象深かったです。直接話が聞けるのって嬉しいです。
4.Chime
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手癖と言ってしまえばそれまでのところもあるのですが、洗練された巨匠・黒沢清の技術を45分間に凝縮し、不自然を自然として、狂気を正気として、眼前にフラットに並べ、「さてこの映画を見ているあなたは自然に正気ですか?」と真顔で呆気なく素っ頓狂に問うてくるような、おぞましくぞくぞくする映像体験でした。
見えないこと、理屈のわからないことが恐怖の源泉にあるわけですが、カメラに映るものに何一つとして異常なものはない(この上に貼った瞬間なんて、ただカメラを引いているだけなのになんで、あんなおぞましいんでしょう)にもかかわらず、ショットのすべてが不鮮明で不明瞭で不気味で異常で、その異常さ足元から這い寄ってくるようでした。
本作、『CURE』で崩壊したあとを描いた世界にも見えるのですが、松岡(吉岡睦雄)は最初から世界と齟齬をきたしていて、世界のデフォルトに狂いがあるというのも『CURE』のその後的でした。
5.化け猫あんずちゃん
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まごうことなき久野遥子のアニメーションなのに、まごうことなき山下敦弘イズムあふれる、夏の煌めきと思春期の鬱屈とモラトリアムの緩やかさに溢れていた夏映画の傑作。『オーバーフェンス』『もらとりあむタマ子』『天然コケッコー』『苦役列車』といった山下敦弘モラトリアム映画群が脳裏に浮かびつつ、独立したアニメーションとして比類なき出来でした。
近作ですと『カラオケ行こ!』の、親的な責任を負わない綾野剛に齋藤潤が感情を爆発させたように、本作ではあんずちゃん(森山未來)に、かりん扮する五藤希愛が見事に世界への苛立ちを悪態として素直にぶつけていて、つくづく子役の芝居の引き出しが上手い人だと思いました。山下敦弘監督の子どもへの愛情や優しさを感じました。
かりんを大人に都合の良い子どもにしないのもとても良くて、「そりゃその環境にいたらそうなるよね」と同乗したくなるシビアな家庭環境で、ちょいグレながらも、根っこに見える素直な善性が生き生きしていました。
かりんが市川実和子演じるお母さんに向ける、「開かれた声」とでもいいますか、感情を隠さない発声がとても良いんですよ。あそこでバカ泣きました。
ラスト、かりんが寺に向かって走るシーンも素晴らしいダッシュでした。かりんの未来への走りを迎え入れるようなショットの優しさには本当にグッと来た。そういえばあのダッシュは『苦役列車』での森山未來セルフオマージュなのだろうか(贅沢を言えばもっとあのかりんの走りを見ていたかった)。
6.ナミビアの砂漠
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かつてADHDとASDの診断を受けたことのある(でもちゃんと社会生活やってなんとか生きてます)、多動的で注意散漫な人間からすれば、あまりにわかりすぎる描写に驚いてしまいました。
肉体と心理が分離するカナの混乱は自分の内部を覗くようで、「なんで知ってるんだ!」と困惑するほど。
劇中カナは自分の狂いを定義してもらうべく受診するんだけど、これもまた身に覚えがありすぎて、「わかる…」と共感しました。
と同時に、あの一連は過去の自分が救われたような気持ちにもなりました。自分は精神科を受診して病名をつけられて、その病気とどうやって折り合いをつけていけばいいのか、もう自分は生きていけないんじゃないかと苦しかったあの頃を、救ってもらえた気がしました。解は一つでないと思うんだけど、あそこでカナを診断せず、規定しないかったのは優しいと個人的に思いました。
音響設計が見事でした。
冒頭カナが友人の待つカフェに遅れる。友人が話しているのに後方のアホそうな男どもの「ノーパンしゃぶしゃぶ」が気になりだし、次第に店内の会話のボリュームが軒並み大きくなる。受信するチャンネルを調整するつまみが故障している感覚。あまりに身に覚えがある感覚でした。
カナの人物がまた面白いです。
友達をホスト連れてって置いて帰り、自分はさっさと帰る。冷蔵庫盗んでいく。肉こねた手洗わない。おもむろに暴力振るう。
どちらかといえば身近にいてほしくないんですけど、でもこんな正直にあれたら……と不意に思ったことがある私からすれば、決して身近にいたらイヤな人間のサンプルには思えませんでした。
カナの人物像に類似を感じたのが町田康『告白』の熊太郎。彼は思弁癖があり、思考と行動が一致しない。世の中の不正義が許せない。許せないのに、自分はズルズルと「あかんやないけ」ということを衝動的にやってしまう。そんな熊太郎同様、カナも世界の不誠実や不正直が許せないのに、彼女のしでかす行為が誠実で正直なのかというとそうでもなく、彼女も自己に都合よく不誠実で嘘をついて社会に適合できてしまう。でもどこか憎めなさがある。何なのか。それは、食肉目ネコ科のごとき放埒で暴力的で率直で正直な河合優実の身体性ではないかと思いました。彼女の肉体から発散される当て所ないエネルギーの放出を見ると、私達は本来動物でたまたま人間のフリをしてるのだと思わせられます。常に何かを食べてないと気が済まない(しかも調理ができない)習性や、両手を前脚のように差し出すような歩行(ご丁寧に側転までする)などもめちゃくちゃ人間型の動物って感じでした。
朝遅くまで寝てベットに寝転んだまま怠そうに上の服を脱ぎ下着だけになったまま、うつ伏せでネコっぽい姿勢になるんですけど、あそこの河合優実のネコっぽさが素晴らしかったです。本当に食肉目ネコ科人間属みたいな感じのしなやかな背中の曲線で、気だるげな人間と動物の間のアクションでした。
そんなカナに併存する人間性と動物性の間を繋ぐのが、ハヤシがカナの背骨を数え上げるシーンなのではないかと思います。
劇中グニャグニャと背骨を揺らしているように歩くカナの獣性を「数える」という行為によって人間に引き戻そうとする儀式に思えました。
果たして、彼女はもう一度人間へ戻ることができるのでしょうか。それとも動物性をより濃くしていくのでしょうか。この先を見ていたいような見ていたくないような…
7.パスト ライブス
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大人の幼馴染再会恋愛モノの新たなマスターピースではないでしょうか。
少年と少女を引き裂く階段。輪廻のようなメリーゴーランド。未来の互いの見え方のギャップを象徴づけるキュビズム的オブジェクト。再開したNY地下鉄の手摺。触れ合う手と手。抜群のロケーションで選びをフル活用し、"イニョン(縁)"で結ばれた二人を演出する映画的な筆致の巧みさ。
日本人的には『おもひでぽろぽろ』を彷彿したり、『ビフォア』3部作を想起したり。
初恋の相手と引き裂かれ傷ついた少年の眼差しと繊細な魂を宿しながら、逞しく大人になったユ・テオの眼が素晴らしい。大型犬みたいな可愛さがあり、ゴールデンレトリーバーみたいな感じでした。
(下記に書くことは、こじつけだと思ってもらっても全然構わないのですが)『パスト ライブス』というタイトルの左の「パスト」と右の「ライブス」にスペースがあるのが肝要だったんですね。たしかに劇中ヘソンは殆ど一貫して、左(Past=過去=幻想)から右(Lives=現在=現実)を見ていたように思えます。場面ごとに気持が過去にある者が左にいて、右の現実側を見る配置になっていたようでした(図①~③)。
視覚的に印象付けた左右の配置が活きるショットが、ラストのヘソンとノラの気持ちの揺れ動きだったと思います(図④)。このまま左に行けば、過去に思い描いた世界に行けるかもしれない。このまま右に行けば現実を変えられるかもしれない。しかしそれはありえない話。今の現実だって十分に素晴らしく満ち足りたもので守るべき素晴らしいものだから。現実に生きるしかないノラは右に引き返し初めて涙を流します。
ここで自分は「はぇえ~~~~映画が上手え~~~~~」と驚嘆いたしました。本当にさりげないんですけどね。徹頭徹尾丁寧で美しい映画でした。
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8.ベイビーわるきゅーれナイスデイズ(+エブリデイ!)
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3作目にして最高傑作を叩き出してことが何より嬉しかったです。シリーズもの3作目は当たりハズレの幅がデカいセオリーを痛快にぶち抜けた成功作で、偉すぎる、立派すぎるよ、ベイビーわるきゅーれ!
こんな理想的なレベルアップを遂げたシリーズなかなか珍しいし、ここまで素敵なステップアップを目撃できて感無量でした。あんな小さかった親戚の子が大きくなって……という感慨深さに胸がいっぱい!
ただ映画として見栄えがリッチになる(実際はそんなバジェットが増えているとかはなくカツカツだそうです…)だけでなく、『宮本から君へ』で爆発的な生命力の発散をやりきった池松壮亮による怪人・冬村かえでの圧倒的身体性が体現する、孤独で寂しい獰猛な強さにより、ちさまひの周りに漂う死の香りとモラトリアムの終焉の儚さが色濃くなる構成も上手いなあと感心(このあとの『エブリデイ!』含めよくできています)。
伊澤彩織vs池松壮亮という実質日本大学芸術学部映画学科の先輩後輩同士のバトルはマジで見応え凄かった!直近だとアニメ『呪術廻戦』の虎杖vs脹相戦(さらにいえば元ネタは『ザ・レイド』なんですが…)に比肩する、日本のアクション史に残る高速バトルだったのではないでしょうか。ドキュメンタリーでも現場の疲弊しながらもギリギリでやりきった俳優陣たちの壮絶な闘いが記録されていたよう(※現時点未見)ですが、本当に大変だったんだろうな…
シン・仮面ライダー映画密着ドキュメンタリーで「戦闘の段取り感が……」とか某監督が言ってたときには、「アクションは殺陣があってなんぼのもんやろがい!!!」とテレビ越しに盛大にツッコミを入れた人なら、200%満足いく、緊迫感溢れる素晴らしい殺陣が拝めてガッツポーズしちゃいました。
アクション・世界観のスケール・火薬量など色んな面でスケールアップしておりましたが、本作ではさらに髙石あかりの顔芸もスケールアップしていました。今日本で最も顔芸のバリエーションが多い俳優といってよいでしょう。朝ドラでの活躍、楽しみにしております(小泉セツをやるとは!!)。
9.チャレンジャーズ
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そもそも予告の時点で全然期待していなかったし、ゼンデイヤが「二人のどっちかがテニスに勝ったらイイコトさせてあ・げ・る♡」みたいな感じなんだろうなーという期待値低めのイメージで行ったら、実際は男と男の間にクソデカい極太矢印が互いに向けられてるだけだったという……
というかテニスがまんまセックスの直喩じゃん、というのはまあ与太としても、スポーツやってるうちにもはや性愛への欲求なのか、スポーツそのものへの希求なのか、不可分になった末の原始的な肉体表現のエクスタシーの爆発に至るクライマックスが最高でした。
本作でゼンデイヤは最高の特等席で最高の絆で結ばれた男男の百合を眺めたいテニス至上主義者なんですよね。三角関係の中にいるようで、男男のぶっとい矢印を司るルールというユニークな新しさ。
俺は中学生の時「テニス」を「ペニス」と言い換えてギャハハハと笑ってたりしたんですけど、多分アメリカの中学生もそんなお下品な言葉をしていたに違いないなと思うなどしました。チンポコ殴りもやったことあるわね……
ラストの「テニミュじゃん!」なバトルでの「言葉はいらない(俺たちにはテニスがある)」な視線の交感。「二人だけの世界」に突入した瞬間の微笑み。見てえ男×男が見られて大満足でございました。
これマジでテニスの王子様スピンオフ企画とかじゃないのか?!?!
10.ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ
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昔のユニバーサルロゴ、フィルム焼け、窓の外にちらつく雪、冬の日常を静謐に収めたカメラに惚れ込んだら最後、あれよあれよと映画が終わってしまいました。
夜が長くなり闇の色が濃くなった冬の夜、温かいコーヒーとアーモンドクッキーを小脇に置いて、毛布にくるまりながらソファに沈み込み見るのがこんなぴったりな小品もなかなかないでしょう。
本作のポール・ジアマッティはなかなかに偏屈なおじさんで、皮肉なユーモアがあって、融通が利かない嫌われ者で自分の中に閉じこもった孤独な男なのですが、根っこには教師として一人の若者を人間として育てようと熱意を注ぐ信念もあり、そんな彼にはかつて悲しい挫折があり…という複雑な人間の表現が素晴らしかったです。
歴史を知り新しきを知る豊かさと同時に、個人の存在において過去が君を規定しないと、家族や血縁から自由になれる選択肢を提示する。最後は「歴史」と蔑まれたハナム自身がタリーにとって新しき今を生きる存在になる。なんて巧い構成なんでしょう…
全体が抑えたつくりで見逃しそうになるけど、抑圧に反発する若者のエネルギーを発散するタリーとそれを追うハナムのシーケンスは映画的に心地よい運動、とでも言いたくなる最良のアクションでした。2人の空気がゆるんでスケートするタリーとそれを見つめるハナムのシーケンスは奇跡的といってよいでしょう。
チェリージュビリーを作ってもらえず(未成年を理由に提供できない店員に「ファシストが」と悪態つくハナムが悪くて最高)、駐車場で即席チェリージュビリー作るシーンで、それぞれの事情で独りぼっちになった立場も年齢も違う冬に凍える魂たちが互いを温め合うような火の温かみが泣けて泣けて仕方なかったです。
キャット・スティーヴンス使いがまた最高です…ベタだけど(笑)
<おしまい>