モノとキモチを切り離す行為。
私は今、「モノ」と「キモチ 」を切り離そうと考えている。今、職場の休憩室でこのnoteを缶コーヒーを飲みながら書いているわけだけれど、何の変哲もない缶コーヒーにだって、「キモチ」が含まれているような気がする。「今日、会議ばっかで疲れるな」とか「せめて休憩時間だけは、私だけのものだ」とか。
「キモチ」を切り離したい「モノ」が何かはまだ言えないけれど、とりあえず捨ててしまいたい「モノ」なのだ。
「モノ」を捨てようと思った時に、同時に「キモチ」も捨ててしまってもいいと思っていた。けれど、「モノ」を捨てたところで、捨ててしまいたい「キモチ」も捨てられるのか?という指摘を受けた。
「キモチ」も捨ててなかったことにすることと、「キモチ」は取っておいて「その気持ちはあっていいよ」と言ってあげるのと、どちらがよいのだろう?
過去に散々人に「その気持ちはあっていいよ」と言ってきたけれど、実際はそんなに簡単には出来ないと思う。人に言っているようで、本当は自分自身に言い聞かせてきた。
「モノ」と「キモチ」を完全に切り離すことは果たして可能なのか?
ひとつ言えることとしては、「モノ」を捨てたいと思っているうちは「モノ」に「キモチ」が乗っかっていて、「モノとキモチ」を両方捨てることになるのかなと。
理想は、「キモチ」を取っておきながら「モノ」を捨てることが出来たらいいなと思う。それには「キモチ」を入れておくことができる強い入れ物が必要だ。
「モノ」に「キモチ」を宿したい人もいれば、「モノ」と「キモチ 」を切り離したい人もいる。面白いなあ。
なぜアクセサリーを作ることがしんどくなったのか。|おみゆ。 @u012351|note(ノート)https://note.mu/miyuhayashi/n/n4c0594587c85
昼休みのメモ書きとして。