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ささくれとひび。

夜眠れなくなるのに、昼間にコーヒーをがぶがぶ飲んだ自分を呪いたい。おかげで眠れなくて、今こうして暗い部屋のなかで画面が割れたスマホを操作している。

いつだったか忘れてしまったが、スマホを落とし、最初はスマホケースが割れ、Amazonで新しいスマホケースが届くのを待つ間にもう一度落として今度はスマホの画面が割れた。
初めは画面の割れはさほど気にならなかったが、最近になって、割れていることが少し恥ずかしくなってきた。人に写真を見せたり、画面を操作してもらう場面で、その人の手を割れた画面で怪我をさせてしまわないだろうかというような不安が出てきた。

一方で、スマホの画面が傷の肩代わりをしてくれたかのように、元々あったささくれをむしる癖が治った。正確に言えば、仕事を初めてから症状がひどくなり、仕事を辞めた途端症状が治まったのだけど。
仕事を辞めたタイミングと、画面が割れたタイミングはほぼ同時なので、まるでスマホが私の手の代わりに傷を負ってくれたかのようにも思える。
ささくれをむしる症状がひどい時には、毎日のように出血していたし、どんどん深くむしるものだから、むしるどころかえぐれるに近い状態だった。
そんな決してきれいではない指先を見ては落ち込み、「もうしない」と誓っては、会議中などに無意識にむしっている私がいた。そのたびに劣等感を覚えた。特に、出血した時は恥ずかしくて情けなくて、とっさに居酒屋のおしぼりで止血をするのだけど、真っ白なおしぼりに真っ赤な血が点々とついているのを見て、自分の血であるにも関わらず、何だか汚らわしく思えた。一緒に食事をしている人に血で汚れたおしぼりを見られたくなくて、そっと裏返しにした経験が何度かある。だけど、私たちが退店した後に席の片付けをする店員にはバレてしまうだろうし、「汚ねえ」と片付けながら思われる場面がいつもいつも浮かんでしまって、そのたびに「ごめんなさい」と店の店員に向けて謝った。
「むしることで、心が落ち着くならむしればいいんじゃない?」と言って気にかけてくれる人もいたけれど、それでも私は自分を許せなくて、悔しい思いをしていた。
触りたいと思う人も物もあるのに、汚い指で触れてしまったら、血で汚してしまうと思って触れることを我慢するしかなかった。

まだ少し傷はあるけれど、ほとんど指先はきれいになったと言っていい。ささくれをむしっていたあの時、あれは私に向けたSOSだったんだと思う。そして、立派な自傷行為でもあった。そうしなければ、やり過ごせない状況にあったんだと思う。だから、その状況から抜け出せて、本当によかったと思っている。

これからは、きれいな指で触りたい人や物に堂々と触れられるような気がする。スマホの画面も直したら、きっとこの劣等感は払拭される気がする。

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