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#8「異邦人」編最終回!/ #9 君は山下澄人を知っているか!?【ポッドキャスト更新】
こんにちは、人間のニンゲンです。
「ワンとニンゲンの文学ラジオ」第8回と第9回、公開中です。
忘年会の集合時刻までの時間つぶしにぜひお聴きください。
「異邦人」編全8回がついに完結です。第9回は次のテーマ本を決める会議回になってます。
今回も後記的に内容に触れたいと思います。
■ 第8回 最後にはカミュが憑依してしまった。「異邦人」編最終回!
全8回にわたりお届けしてきたアルベール・カミュ「異邦人」編、最終回です。今回は総括ということで、いつもに増してガチめに語り合っています。
この小説の骨子・動力源は作者カミュの「不条理」観念です。
つまり小説は観念に引っ張られて展開せざるをえません。その結果、第一部では細やかな情景が中心でしたが、第二部ではムルソーの独白が急に増え、全く別の小説のようになります。
だんだんカミュ自身の顔も覗かせてきて、最後は完全にカミュがムルソーに憑依、神父に思想と感情をぶちまけることになります。
君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし少なくとも、この真理が私を捉えていると同じだけ、私はこの真理を捉えている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも私は正しいのだ。私はこのように生きたが、また別なふうにも生きられるだろう。
この一節をどう捉えるかは、その人の状況や性質によってかなり異なるでしょう。
ある見方をすれば、この一節は「異邦人」の秘密を作者自ら種明かししているといえます。そしてそれが、推理小説の解決編にも似た興ざめの要因になっているのは否めません。
しかし僕が10代でこれを読んだとき、このムルソー=カミュの激昂からとてつもなく大きな力をもらったのもまた事実です。
多くの人が、人生のある時期に「不条理」の感覚を抱くと思います。この世の現象が等し並になる感覚、世界から切断されたような感覚、その上でどのように生きればよいのかという問題。この作品は凄まじい精度でその感覚を汲み尽くし、言葉で書き表しています。
この点で「異邦人」は唯一無二の小説です。この世で文学が続く限り「異邦人」は読まれ続けるのではないでしょうか。
※思いのほか読んでいただけている、本編中のキーワードまとめる記事が全然書けていないのですが、時間見つけて年内には出しますのでしばしお待ちください。
■ 第9回 次のテーマ本を決めましょう。君は山下澄人を知っているか!?
「異邦人」の次は何を読むかということで2人で作品や作家を思いつくままに挙げていたら、なんだかとりとめがないんですがバリエーションに富んだ内容になりました。
以下に話題に出た作品・作家の一部を書きます。ピンとくるものがあったら聴いてみてください。
三島由紀夫「金閣寺」
大江健三郎「セブンティーン」「政治少年死す」
ドストエフスキー「罪と罰」「地下室の手記」
山下澄人「緑のさる」
東浩紀「訂正可能性の哲学」
J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」「ナイン・ストーリーズ」
村上龍「限りなく透明に近いブルー」
チャールズ・ブコウスキー
太宰治「人間失格」
モーパッサン
ガルシア=マルケス「百年の孤独」「族長の秋」
バルガス・リョサ「緑の家」
坂口安吾「堕落論」「夜長姫と耳男」
ジョン・ダワー「敗戦を抱きしめて」
市川沙央「ハンチバック」
イグナチオ・デ・ロヨラ「霊操」
道元「正法眼蔵」
上田秋成「雨月物語」
オルガ・トカルチュク「プラヴィエクとそのほかの時代」
ちなみにラジオ中で僕が言ってる「夜長姫と耳男」のあらすじは、野田地図の舞台のあらすじとちょっと混同してました……。
次は東浩紀「訂正可能性の哲学」、その次はドストエフスキー「地下室の手記」を取り上げる予定です。お楽しみに!
それでは。
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