「からだ」は「他者」だ。
今までは身体を見る対象としてはいけないと思っていた。
対象化するとどんどん遠ざかって分からないものになってしまうと思っていたから。
コントロールしたくなってしまう。
だから出来るだけ身体と同一化することを目指した。身体の側に立って身体に動いてもらうつもりだった。
しかしそれを進めても実は結局コントロールから離れられないということが分かってきた。
当たり前かもしれない。
だってそれを見る以上はそれはどうしたって対象化であり、同時に「自己」(意識)は対象と隔絶されることになる。
どこまで近づいたところでむしろ輪郭がよりハッキリするだけのことなのだ。
なので身体を他者であることをちゃんと認識することからやり直してみた。
しかし「赤の他人」ではなく、親しい相手・大事にしたい相手として。見るというだけでなく声をかけて語りかけるつもりだ。
頭、腕、手、胸、背中、腹、腰、太腿、膝下、足…
するとそれぞれが何だか空間的広がりを持ち始めた。
各部位が「立体的」「3次元」に立ち上がってくる感じ(と同時に普段は身体を平面的、2次元的に見ているのだ気付く)。
そしてムズムズと各々が動き出そうとするのが感じられる。まさしく、内側から力が生まれてくる感じ。
ああ、何だ、欲しかったのはこれじゃないか!
何だか笑えてくる。
いくらやろうとしたってできる訳もない。
全く「やる気」が無い。コントロールしたい欲求は全然起きてこない。むしろ邪魔したくない。
このはたらきがつまり「からだ」なのだ。
「からだ」とは実は「自分」という枠のなかの、自己とは別の「他者」だった。
「自分」は自己とその「他者」たちとの共同作業で成立している。そんなこと分かってたはずなのに。
分かってたつもりだったんだな。
しかし、次の瞬間にはいつもの身体に戻ってしまう。多分違うフェイズの出来事だということなのだろう。
日常的に意識できているフェイズでは身体は動かすもので、「からだ」はそれとは違うフェイズで発生しはたらく。
とりあえずはその二つのフェイズを自由に行き来できることが目指すべきところなんだろう。
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