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自由とは?


今朝目を覚ますと身体が痛い。重い。
昨日の疲れが抜けてない。仕方ないからしばらくそのまま横になったまま「何とかならんかなぁ」と思いながらボーっとしてみる。
何かだるいのが抜けてきた。

久しぶりの感覚。しばらく忘れていた。

すると次の言葉が思い浮かんできた。

「運命は完全に決められていて、同時に自由である」

この言葉との出会いは二度あった。

僕の人生のバイブルとも言える漫画の『バガボンド』と、武術家の甲野善紀先生のおはなし。

どちらとの出会いも衝撃的だった。

『バガボンド』は宮本武蔵の生涯を辿る作品。武蔵が吉岡との決闘の末捕らえられた牢屋の中で、沢庵和尚からこの言葉を聞かされる。沢庵和尚は海辺で眼の前の海に雷が落ちたときにこのことを悟った。

初めてこのシーンを見たとき、その時の沢庵和尚さながら、ただ放心状態で天井を見たまま長い間動けずにいたのをよく覚えている。

「ああ、そうか。これでよかったんだ。」と思って泣いた。

甲野先生の言葉を聞いたときは、「こんなことを言う人が本当にいるなんて」と本当に驚いた。しかも平然と人前で。

この事が僕のその後の人生に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

でもこの出会いの前にすでに僕はこの言葉を知っていた。
というかこの感覚を経験していた、というのが正確か。

多分中学生くらいの時。
詳しくは覚えていない。その時点ではっきりとした言葉にはなっていなかった。

そのときは誰から教わった訳でもなかった。何が起こってそうなったかはっきりしないけど、何かのきっかけでフッと「あ、運命は決まっている。でもそれでいいんだ」と突然分かって何だか高揚した。その経験を覚えていた。

だから先の二つの出会いがあったときに、このことを他の誰かが知っていることにすごく驚いた。同じ感覚を経験している人がいるなんて考えもしてなかった。


これはつまり、「運命は決まっていて、自由」という感覚が人間の中にすでに備わっているということなんだと思う。

ある条件が揃ってある種ゾーンのような状態に入った時、そう感じるものなのかもしれない。



不思議なのです。運命というどうしようもないものに完璧に決められているのに、完璧に縛られているのに、それでいてすごく自由だと感じる。すごい開放感、解放感がある。

多分繋がりを感じられるからなんだと思います。

自然との繋がり。地球との繋がり。宇宙との繋がり。そしてそれらが人と、社会と、世界との繋がりを生み出していることが分かる。

小さな子供は、一人では淋しくてどうしようもなくて泣いてしまうばかりですが、側にお母さんがいればそれで安心して急に元気になって自由に遊び回る。

これと一緒なのではないか。
どうしようもない存在としてある「運命」。
その定めからは逃れられない。何もかもを自由にはさせてくれない。
でも同時に「運命」によって生かされている。その定めの内にある限り自由に飛び回ることができる。

難儀なのは、束縛されていることの方を強く感じてしまうこと。生かされている、という感じの方がどうしても感じにくい。
なにしろ「運命」には形が無いですから。触れることも認識することもできない。実感がない。

なのに急にあるときそれが「ある」と感じてしまうのだからやっかいなんですね。

どうも「身を任せる」ということができたときにそれを感じることができるらしい。自分を、身体を、身の回りの人・もの・ことをコントロールしたい欲求から離れられた時。

しかし「身を任せる」ということがまたなかなか分かりにくい。

僕はこれを身体的に「重力に身を預ける」ことだと捉えます。「重力を感じる」と言った方がいいか。

そもそも重力があるから、動けるし、立てるし、歩けるわけです。自分という形を留めていられるのも重力に依っている。まさに重力が「自分」という存在を規定している。それはまさに「運命」だと言える……          と思っています。

まあ真偽の方はさておき(笑)、重力が自分の体に働いているのが感じられると分かってくる感じがする。安心感が出てきて、身体のギュッとなっていた部分が解けていく感じがしてくる。するとなんか動き出したくなってくる。

こういうのを“自然体”というのでしょう。

いつもこのようであれたら余計なことに苦しまなくてすむんですけど、なかなか難しい。

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