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推し依存女子が現実で幸せを掴む方法

「推し活をしているときは幸せだけど、現実に戻るとつらい」と悩んでいませんか?

実は、推し活をしていないいわゆる「現実」のときつらいと感じている人は、今のままでは一生「つらい現実」を生きることになります。なぜなら、自分が変わらなければ現実は一切変わらないからです。

この記事では、現実がつらくてたまらなくて推し依存の限界オタクだった私が、あることをきっかけに自分を受け入れることができ、周囲の人が変わり、ごくごく普通の現実の幸せを手に入れた方法を赤裸々にお話します。

「現実の幸せ」とは人それぞれですが、それを掴む根本的な方法は共通です。ぜひ最後まで読んでみてくださいね。


オタクのはじまり

私が芸能界に興味を持ち始めたのは小学4年生くらいのとき。2歳上の姉の影響でドラマを見たり、アイドル誌を読んだりするようになりました。

初めての推しは某J事務所のアイドルでした。

それから小学6年生のときに第2次バンドブームが始まり、ビジュアル系ロックバンドのCDを買ったり借りたりして、カセットテープに編集するようになりました。

それが私の限界オタクへの入口だったのです。

健全なバンギャ時代

子供の頃は山奥のド田舎に住んでいたことと、両親が厳しかったこともあり、雑誌やテレビで楽しむ程度でした。

ライブに行きたいなんて思うこともなく、GLAYの幕張の20万人ライブの映像を観て遠い世界の話だと思うほど。

親に内緒でこっそり深夜ラジオを聴いて、とてもワクワクしていたかわいいオタクです。

その分雑誌を片っ端から読んでは、バンドマンの頭の中を(勝手に)整理するのが得意になりました。

この程度でやめとけばいいものを……

大学生で初めてのライブ

大学生で県内の県庁所在地で一人暮らしを始めたので、自由が増えました。

ビジュアル系が好きな友だちにも出会い、ある日その友だちに「ライブに行かない?」と誘われるのです。

大学のすぐ近くのライブハウスで行われた推しのライブ。私は緊張しかなく、ほとんど記憶はありません。

ただ、楽しかったという記憶はあります。

メジャーデビューしているバンドだったので遠い存在ですし、ステージ上でキラキラしていて「すごいなあ」と田舎者の私はぼんやりしていたのです。

限界バンギャ時代

(※バンギャ:ビジュアル系が好きな女子のこと。男子はギャ男。)
私の人生が変わったのは就職で上京してから。

東京という街は甘い誘惑がどっさりあるのです。

上京してすぐにバンギャの友だちができ、友だちとライブに行ったり、MVのエキストラに参加したりと楽しい推し活ライフが始まったのです。

オタクの中では遅いスタートだと思います。

それでもライブに行くだけで満足していた当時の私が変わったのが、推しの死でした。

ある日突然、推しが亡くなったのです。

「推しは推せるときに推せ」

オタクの間では有名なこの言葉ですが、まさにその通り。

推しはある日目の前からいなくなるのです。

のんびり自分のペースで推し活をして後悔したくないと思った私は、それから行けるライブには行けるだけ行くと決めました。

その時に出会ったのが、その後「相方」となるガチ勢の子。

その子にライブで最前列に入る方法を教えてもらったり、いわゆる「仕切り」と呼ばれる最前列を仕切っている人を紹介してもらったりと、沼へのご招待を受けたわけです。

ライブ遠征をするようになったり、出待ちをしたり、CDを積んだりと限界バンギャへ変貌を遂げたのでした。

子供の頃から、私は自己肯定感ド底辺で自分が大嫌い。

子供の頃からビジュアル系が好きだったり、人目を気にせず好きな服装をしていたりしていたこともあって、周囲からは変わり者扱いをされていました。

友だちはいたものの、いまいちしっくりこないと感じてもいました。
周りがみんな「あっち側の人」な気がしていて、いつも抱えていた孤独感。(のちにHSPだと発覚してものすごく楽になりましたが)

両親が厳しかったので、勉強以外で褒められた記憶はありませんが、大学受験で失敗したことでその自尊心すらなくなり、大学生以降は「私の人生こんなはずじゃなかったんだけどな」と思っていました。

そんな中で、推し活にどんどんのめり込んでいき、いつの間にか引き返せないくらいに生活が破綻していたのです。

とにかくお金がない

当時の私は、広告代理店で働いていました。

とはいえベンチャー企業なのでボーナスはなし。年収300万円の会社員です。

そうです。お金がないんです。

推し活はとにかくお金がかかります。チケット代、交通費、ホテル代、CDを積む代…

三軒茶屋で一人暮らしだったので、生活に困窮するのでした。

と、いうことでついに私は夜の世界へと足を踏み入れるのです。

人生の激変

昼は広告代理店で働きながら、会社には内緒で副業を始めました。

最初は近所のスナック。

夜職が初めて(厳密には大学生の時に3日で辞めたことはあります。)だったので、右も左もわからずとにかく時給分は一生懸命働きました。

ところが、夜の世界にトラブルはつきもの。

ママとトラブルになったキャストの子と一緒にそのスナックを辞め、次に足を踏み入れたのがキャバクラでした。

私はキャバクラのほうが合っていて、それなりに指名ももらえるようになり、キャストの子もたくさん仲良くなり、とても楽しい日々。

そこで私のメンタルが大きく変わるのです。

指名をしてくれるお客さんは、私のことを気に入ってくれてお店に来てくれるわけです。

つまり、お客さんは私を全肯定してくれるのです。

「かわいいね」「頭いいね」などとずっと言われ続けているうちに、私の自己肯定感が爆上がり!!

友だちもたくさんできたし、すごく褒められるし、初めて人生が楽しいと思えたのでした。

その後、もっと稼ぎたいと思い銀座のクラブに転籍をし、社会勉強をたくさんさせてもらいました。

「銀座のクラブで働けている自分」も自己肯定感をさらに高めることができたように思います。

自分が変わると周りが変わる

厳密には周りは何も変わっていないのです。

変わったのは私だけ。

しかし、キャバクラで働き始めた頃から他責することがなくなったり、周りに人がどんどん増えてきてとても楽しくなりました。

昼の仕事でも認められることが多くなり、昇進もしました。

自分がポジティブになると、周りもポジティブな人が集まるようになるのです。

その結果、昼の世界で出会った男性数人から同時に好かれ、そのうちの1人と結婚しました。

それをきっかけにバンギャも卒業し、子ども2人をもうけ、ごくごく普通に幸せに暮らしています。

今は某J事務所の推しがいますが、健康に楽しくハッピーに推し活をしています。

今の推しは必要不可欠ではなく、生活を潤してくれるエッセンスくらいの存在です。

私はあくまでも現実を生きているので。

もっと健全な方法で推し依存を卒業しましょう

私は夜の世界で全肯定してもらったことで、自分を受け入れることができて、ポジティブでハッピーな人生に変貌を遂げました。

私がこの方法でうまくいったのは、「夜の世界には染まらない」というポリシーを持っていたからだと思っています。

昼職があくまでメイン。昼職に支障が出ないように夜職をする、と決めていました。

夜の世界に染まると、生活レベルを戻せないと思っていたからです。

夜の世界は楽しいですし、世間が思っているほど怖い世界ではありません。私は歌舞伎町や銀座のキラキラした雰囲気が好きです。

しかし、これを読んでいるあなたにはもっと健全な方法で推し依存を卒業してほしいと思っています。

推し依存を卒業するには「自分を受け入れること」が大切です。

でも、そんなこと急に言われても難しいですよね。

そんなときは、私があなたの「いいところ探し」をします。
そして、自分自身を受け入れるためのレッスンを一緒にしていきましょう。

XのDMやリプからいつでも連絡してくださいね。(女性限定)

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