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昭和の北海道 【4コマ漫画 電話受けるのも 大仕事】昭和の電話事情



北海道、昭和の電話事情
携帯電話のない時代。
私の幼少のころは、固定電話さえありません。
町内だけ通じる黒電話が通ったのは、小学校低学年のころでしょう。

いつのころか、薄緑色をした電話になり
国内どこでもかけられるようになりました。

当時、電話線を引くために ”権利” をとらなくてはならず
それが非常に高いものでした。

私が看護学生だった頃は自分の電話は持てませんでした。
アパートの階ごとに置かれた公衆電話を
6人が共有で使っていました。
電話に近い部屋の親切な学生さんが
よく電話をとって、ドアノックをしてくれました。

大学病院で働き始めて
やっと、この ”権利” を買うことができました。
看護婦寮の6畳の部屋に、自分だけの電話。
その当時で10万円以上しました。

その5,6年後には、
トランシーバーのような大型の携帯。
まだまだ高価なもので、新しもの好きな人が持っている程度でした。

平成その後 
そのうち私が30代になり、訪問看護婦を始めた時に
小さな携帯を与えられました。
夜間や休日の緊急呼び出し用として
交代で持つことになったのです。

私が個人で携帯を持つようになったのは、ニュージーランドに来てから。
息子たちがシュタイナー幼稚園に行き、私は語学教室に通い始めたので、
子どもたちに何かあった時のために 出先で連絡を受ける必要があったからです。

今から25年前ですね。
最安値で、一万円くらいの携帯電話。
粗雑なトランシーバーみたいな形。
今 見ると笑えるくらい古臭いものでした。
取っておけばよかったなと思います(笑)

私は、もうすぐ59才。
ぎりぎり、電話のない時代に生まれました。
それが今や、スマホという超小型コンピューターを持ち歩く時代。

電話やメールを使う人も少なくなり、メッセンジャーやラインが主流。

あと20年後、30年後は
いったいどうなっているんでしょう。

今しばらく文明の発達をながめて
楽しみたいと思います。

では、今年もよろしくお願いします。

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