たぁ〜のしいともだぁ〜ち……(泣)【インサイド・ヘッド 感想】
皆さん、お久しぶりです。相変わらず仕事が忙しくてnote所じゃないんですが、今年1番の目玉作品に備えるべく、過去作を見返して来ました。この熱いレビューをどうか読んでほしい。そして一緒に2作目を見に行きましょう。
ではレビューどぞ。
続編公開に備えて再鑑賞。やはり何度見ても泣いてしまう。
本作は、反抗期の少女ライリーに降りかかる、小さな悲劇の連続で構成されている。
住み慣れた街を離れた所から始まり、新居はボロボロ、近所のピザ屋は美味しくない、クラスで馴染めない、得意なスポーツでは失敗ばかり、挙句親友は新しい友達が出来ているといった始末。
そのどれもがありふれた出来事で、映画にしてはいささか地味な展開。しかしありふれた出来事であるからこそ、深く共感してしまう。誰しもが経験しているから。「昔似たような事あったな……」と、自身の少年時代とライリーを重ねてしまうのだ。
ライリーの心情に反して理解が追いついていないヨロコビの言動にも考えさせられるものがある。
ヨロコビは、作中で起きたトラブルに対し、全て明るい気持ちで乗り切ろうとする。それに伴い、カナシミの行動を徹底して制限しようとするのだが、コレが中々辛い。
確かにライリーは、明るく前向きな女の子だ。しかしいつもそうであるとは限らないのに、笑顔でないライリーを受け入れようとしないヨロコビ。言ってしまえば自己否定をしているに等しいのだ。カナシミが自分自身の存在意義を見出だせず苦しんでいるのも同様。
そんなライリーと脳内感情達がそれぞれ全く異なる考えを持っているという自己矛盾は、人間が生む複雑な心情を忠実に表していて、非常に心に来るものがあった。
そして何より、ビンボンも忘れてはならない。彼はイマジナリーフレンドという性質上、ライリーの成長と共に消失することが運命づけられている悲劇のキャラクターだ。彼自身もそれを自覚していたが故、終盤記憶のゴミ捨て場での死を受け入れる様が涙を誘う訳だが………。
私は、ビンボンにはイマジナリーフレンド意外の側面も含まれていると考えている。いわば人々が大人になるにつれて忘れてしまった、大切な"何か"の象徴なのではないだろうかと。
各々思い出して欲しい。自身の考えを正直に伝える素直さや、他人を思いやる良心を。それがビンボンそのもの"だった"のだ。昔の私達は、もっと純粋だったはずなのに、社会に揉まれ飲まれて、無駄に取り繕うつまらない大人になってしまった。いわば大人は、自分の中で生きていたビンボンを殺した罪深い者達なのだ。彼は二度と生き返ることは無い。少なくとも自身の心の中では。
この映画を見た子供たちよ。ぜひ君達のビンボンを大切にして欲しい。その感性は一度失ったら二度と取り戻すことが出来ないのだから。
総括、「普遍的故心に刺さりまくる大傑作」です。これ2作目劇場に観に行って大丈夫かな。最初から最後までボロ泣きする未来しか見えないんだが。頼むライリー!変な男と付き合ったりしていないでくれー!20まで純潔を貫いていてくれぇ!