ある意味タイトル詐欺だよねコレ【ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ 感想】
前回記事の宣言通り、ジョーカーの新作見てきました。
個人的には満足の出来だったので、レビュー見て興味湧いた方は是非。
それでは本文どうぞ。
バットマンファンです。
一作目の評価は、4.3くらいかな。弱者男性のヴィラン化をとことん悲痛に描ききった問題作として、結構刺さる内容でした。クライマックスで、ジョーカーの誕生とウェイン夫妻の死が重なる所とか最高。
ただ一方で、「これもはやジョーカーじゃなくね?」と思ったのも事実。トーマス・ウェインが畜生だったり(要考察)、ブルースと年が離れすぎていたりと、原作から乖離しすぎている。あとはキングオブコメディ、タクシードライバーを現代でやるために版権キャラを拝借した感が強く、バットマン映画としては称賛し難い思いがありました。
と言うわけで今作を見る際は、従来のバットマンシリーズとは別物という心構えで臨むことにした。前情報だとミュージカルになると聞いているが、その出来は果たして?
───鑑賞後───
………アーサー。
お前、結局ジョーカーにはなれなかったんだな。
本作は、アーサー自身がジョーカーに殺される物語だ。
前作にてアーサーは、エリートサラリーマンやテレビスターを殺した事で、弱者の希望として大衆から崇拝される様になった。これまでの人生、誰からも見向きもされなかった男に、初めてスポットライトが当たったのだ。
………しかしそれは、ピエロのメイクをした男"ジョーカー"という記号そのものに対しての信仰。誰もアーサーフレック本人など見ていない。だからアーサーとしての心の内をさらけ出しても、周囲から失望されるだけ。ある意味、デント判事や裁判長といった、アーサーが犯した罪そのものを糾弾し続けた者は、誰よりもアーサー自身と向き合っていたかもしれない。
結果、解釈違いを起こしたハーレイからは振られ、期待を裏切られた信者の男に殺される。結局アーサーは、母親と一緒に住んでいた時と変わらず、孤独な弱者男性に過ぎなかったのだ。なんと残酷な物語なのだろう。唯一の救いは、ゲイリーがアーサーの優しさを知っていた事くらいか。
この「一人の人間でしかないアーサー」と、「理想のジョーカー像を勝手に作り上げている大衆」の関係は、「ジョーカーという映画そのもの」と「悪のカリスマとしてのジョーカーを期待していた観客」の構図とよく似ている。というか、監督もそれを意図して本作を作っているだろう。
「階級社会へのアンチテーゼ?悪のカリスマ?そんなん知らねぇよ!こっちはアーサーフレックの悲劇(喜劇)を描いてるのに、どいつもこいつもジョーカーとしての側面ばっかり持ち上げやがって。ほら見てみろ、お前らが祭り上げてるジョーカーは、ただの哀れな男に過ぎないんだよ。………納得いかない?じゃあ殺すしかないねー。あーあ死んじゃった。」
そう言われた気がした。確かに、ダークナイトが公開されて以降、ジョーカーを過剰に持ち上げる層がいたのも事実。そのくせジャレット・レトのジョーカーはガン無視しているのが気に食わなかったので、今作のアンサーは痛快だった。
しかも、今作ジョーカーの描き方を否定してしまうと、作中のハーレイや大衆と同じになってしまうのが巧いよな。否定派が何言おうと、「それお前のジョーカー像と違っただけやん」で返せるから、中々賢い手口だと思う。緻密な計算の上で賛否両論を呼んでいる快作といえる。
………とはいえ本作、一点明確なマイナスポイントがあった。
とにかくミュージカルがクドい!
アーサー「僕は君を愛している。」
───数分後───
ジョーカー「ぼぉーくは、君を愛しているぅ〜
うぅ〜♪」
このように、通常シーンで一度描いたことを、妄想世界のミュージカルでもう一度反復するせいで、途中からうんざりしてくる。「それはさっき聞いた」と何度思ったことか。しかも一曲一曲の尺もそこそこある分、テンポが非常に悪い。アーサーとジョーカーのギャップを作るために必要な要素なのは分かるが、せめてストーリーの進行を止めない作りにして欲しかったたかな。
総括「所詮ジョーカーはフィクションだったね」
正直ミュージカルはノイズだったが、アーサーを前作以上に人間として描いた物語として、大満足でした。1作目を見てドハマりした人こそ劇場へ。そして勝手にガッカリしてください。
余談、ジャッキー(看守)の背中をポンと叩いたら、頭を引っ叩かれるシーン好き。そういう所だぞアーサー。