もはや帰省と言っても過言ではない、京都の中華料理店「駱駝」のこと
私は京都の大学に通っていたころから、「駱駝」という中華料理店の麻婆豆腐を溺愛してきた。
その店は左京区の京都芸術大学の近くにある。京都市の中心部からだとバスで30分ほど。学生街と住宅街の合いの子のような場所ながら、横浜中華街で修行を積んだご主人が本格的な四川料理を出してくれる。
麻婆豆腐も例に漏れず本格的で、豆豉と山椒ががっつりきいていて辛い!私は辛味と旨みをまとった肉味噌をごはんにダンピングさせて食べるのが大好きなのだ。
麻婆豆腐定食には、アツアツのプーアール茶と、アツアツの卵スープがついてくる。油のおかげでいつまでも熱をキープしている麻婆豆腐で白米をかきこみながら、熱いプーアール茶と卵スープを挟む……汗がどんどん出てくる。
駱駝は小さなお店だ。カウンターが10席ほどと、テーブルが1席。外でお客さんが並んでいることも多いから、私は食べおえてプーアール茶をさっと飲んでから、汗も引かぬ間に店を出るのを信条としている。
店を出た時に風を感じる心地よさといったら、サウナから出て水風呂に入るときのそれにそっくり。駱駝の麻婆豆腐は食べるサウナなのである。
社会人になり上京してからも、京都に行くたびに駱駝にはほぼ必ず行っている。最近は胃が弱くなり京都旅行の序盤に駱駝を食べるとコンディションによっては胃もたれし、その後の予定ー私の京都旅行は食べる予定でぱんぱんであるーに響くため、最終日に訪問する流れに変えた。
この店とそして麻婆豆腐を愛してやまない私であるが、最近駱駝に行くたびにこんなことを考えている。
「次回は麻婆豆腐ではなくて雲白肉を食べようか(※駱駝は雲白肉をはじめ麻婆豆腐以外も絶品である)」
「いや、麻婆豆腐を食べないのならもはや駱駝に行かなくてもいいか……」
私の気のせいかもしれないが、数年前から麻婆豆腐の味が少し変わったように感じるのだ。以前ほど山椒が強くなく、少ししゃばしゃばめで、食べやすくなった気がする。私の味覚や感じ方が変わっただけかもしれないのだが。
以前の、肉味噌のかたまりをそのまま食べているかのようで、辛くて熱くて食べ進めるのもひと苦労の麻婆豆腐のほうが好みだったなと思ってしまい、大好きな店なのにそう思うのになんとなく罪悪感を抱いた。いっそ、あの味を思い出にしたまま卒業するのがいいかーー
それでも、駱駝の麻婆豆腐は私にとって年に2回帰省して顔を見せる田舎の祖父母のような存在で、気づけば京都芸術大学方面にむかう204系統のバスに揺られて足を運び、雲白肉でも回鍋肉でもなく麻婆豆腐を頼んでしまう。
ディナーの麻婆豆腐セット1,600円は大学生の私にとっては安くない値段だったが、せっせと稼いだバイト代で食べたこと、いまは疎遠になってしまった仲良しの先輩と就活の話をしながらカウンターで食べたこと、遊びに来た母が弟と私にごちそうしてくれたこと、東京で就職してからも京都にきたら駱駝の麻婆豆腐に再開するたびに喜びに静かにうち震えながら味わったこと……その全部が詰まったものが麻婆豆腐であり、駱駝という場所なのだ。
先日京都を訪れた際も、やっぱり204のバスで駱駝を訪れた。「29周年を迎えて、息子やスタッフと更なる努力をしてまいります」との張り紙があった。無事に29周年を迎えたことも、息子さんがくわわっておそらくもうしばらくは駱駝という店が続き、辛くて美味しい麻婆豆腐を食べられることも、私は勝手に安堵し、このうえなく嬉しかった。それはきょうだいの結婚を知らされたような喜びだった。
心の支えになる、ここでこれを食べれば元気になるという飲食店があるのはとても幸せなことだと思う。次に京都を訪れるときも、やっぱり私は204のバスに揺られて駱駝で麻婆豆腐を食べ、店を出た時に汗ばんだ頰を撫でる風に目を細めるのだろうと思う
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