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頭木弘樹『自分疲れ』

『自分を好きとか嫌いとかに関係なく、『自分がしっくりこない』『自分でいることになじめない』というような違和感を覚えたことはないだろうか?』 
『健康なとき、人はほとんど体を意識しない。胃が痛くなって、初めて胃を意識するように、不調になって初めて、その臓器の存在を意識する。つまり、体についていちばんよく知っているのは、体に問題が起きた人なのだ。』
             ──『はじめに』より

大麻銀座商店街にある麺こいやというカフェの中にある江別港書店にてこの本を見かけた。
自分疲れというワードに心当たりがある。
人間関係がうまく行かないとき、なぜ私は相手に合わせることができないんだろう、どうしてこんなにも負の感情を抱いてしまうんだろう。と思ったり、自分がこうしたい・こうでありたいという意思とは反対に自分の体が言うことをきかないという感覚があったりする。

はじめはわかりやすいように『体』と『心』の2つに分けて考えている。
人って心を重視するけど、体は軽視しがち。
体のコントロールは感情(心)がからむと難しく、心のコントロールは欲望(体)がかむと難しくなる。だから両者がからむと一層コントロールが難しい。

体が変わると心もかわる。
著者の頭木弘樹さんは、大学3年生のときに急に心理状態が大きく変化したという。本来はそういう人間じゃないのに、ケンカをしたくてしかたなくなったらしい。どうしてこんな状態になったのだろうと、自分でも不思議に思っていたら、難病を発症した。体の病気。発病の前兆として心が変化していた。

体と心はいくつあるんだろう?
相手によっていろんな自分になるように、いろんなキャラが心の中にある。職場にいるときの自分、街を歩いているときの自分、友達と一緒に過ごしている時に自分。

分けないことで分かる。
分けて考えていることに慣れている私たちには、ひとつながりであることのほうがむしろイメージしにくくなってる。だからこそ本来人つながりなんだ、ということも忘れないようにしなければ。
大事なことは『あいだ』にある。
心と体も『あいだ』ということ。
そういうグラデーションで考えたほうが楽かもしれない。

私が自分疲れを読んで印象に残ったのが、『あいだ』や『グラデーション』の話だ。私は物事を極端に考えがちで、それは確かに複雑に考えなくて済むので楽ではあるけどそのせいで余計に疲れることもしばしばある。この人は悪い人だ・良い人だと決めつけるのではなく、たまたま悪い部分が見えているだけで良い部分も隠れていると考えたほうが物事もより豊かに見える気がする。 

表紙や本文のイラストは漫画家の香山哲さんが描かれている。香山さんの唯一無二なイラストが好きなので、それも含めて大切にしたい一冊だ。

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