思い出す人。
こんばんは。東京は連日の晴天です。このお天気で初期設定してもらいたいと思ったりしています。空気は少しだけ、冷たく感じるのですが。
以前は日曜日になると、よく図書館に行って勉強するフリをしていました。フリだけではなくて勉強してたのですが、集中できる時間はわずかで、つい本を読んだりボンヤリしたりしていました。それでも図書館へ行くと1時間でも集中して勉強するので、自ら緩く監禁状態にしていたつもりです。
図書館の最上階には眺めの良い食堂があって、窓際のカウンター席に座って珈琲を飲みながら勉強をするのが好きでした。持ち込みも出来るので、マグポットに珈琲を入れてお菓子と一緒に持参したりしていました。
当時私は、少し価格帯が高めのスーパーなどに行って、輸入品のチョコレートやお菓子を好んで買っていました。お菓子だけではなくて、パンなども、添加物や原材料を必ず確認して、少々神経質に選択していました。
ある日、いつも通り窓際のカウンター席でボンヤリと窓の外を見ていたら、ひとりの女性が、ニコニコとこちらに笑いかけながら隣の席に座りました。目が合ったので、私も笑顔で軽く会釈をしました。頭からすっぽりとベールを被ったその人の服装から、近くの教会の方だと分かります。その柔らかな雰囲気は独特で、自然と気持ちが安らぐのを感じます。
休憩時間だったのだと思います。その人は持っていた手提げバッグから袋入りのパンを取り出しました。それはコンビニでもスーパーでも売っている、一袋に小さな丸いあんパンが5個くらい入っている良く見慣れたパンです。袋からパンをひとつ手に取って、ゆっくりと口に運んでいるのが視界に入ります。穏やかなその姿に、急に自分の事が恥ずかしくなってしまいました。
こうして書くと大袈裟に感じますが、その時は、恥じ入るという感じだったと思います。別に悪い事をしていたわけではないのですが、その人が食べていたパンを、私は普段買わないようにしていました。添加物と白砂糖が入っているので食べないと判断していたのです。そういう自分を傲慢に感じたのかもしれないし、傲慢さに気付いたのかもしれません。
その人は、ゆっくりと小さなパンを2つほど食べると、丁寧に残りを手提げバックに戻して外の景色を眺めていました。そして、しばらくすると、そっと席を立っていきました。
その日、何だか泣きたくなってしまいました。
自分の傲慢さや貪欲さに気づいて惨めな気持ちになったのかもしれません。神経質に食べ物を選びながらも暴飲暴食をして、さらに健康の為のサプリにお金を使う。向上心に苦しんで、いつも不機嫌になっている。そんなに悪い事ばかりではなかったけれど、どこか無理をしていたのかもしれません。
隣に座る時に見せたその人の印象的な笑顔と、ネームプレートに書かれた名前が記憶に残って、今でも時々思い出します。
今も健康オタクな一面は変わっていないけれど、手軽に買える身近なパンやお菓子を食べる時、ほんわかとした幸せな気分になります。きっと、それが大事なんじゃないかと、時々気づくのです。パンを買えるという普通のことが、実は幸運に恵まれていているのかもしれないと、時々思うのです。
時に立ち止まって、貪欲に何かを求めるのを一旦止めて、今あるものに気づくという当たり前の事を、よく忘れてしまいます。そして本当は、何の価値も分かっていないと知るのです。
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