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宇宙人と論理の狭間で:オフィスの哲学バトルから学んだこと
ある日、職場の同僚が宇宙人の存在を信じていると話し始めました。彼女は、偶然の出来事は自分の思いが宇宙に伝わった結果だと考えていました。
私は議論好きなので、「それって論理的じゃないんじゃない?」的な感じで突っかかっていきました。すると彼女は「じゃあ、その論理の基礎って何?」と返してきました。
彼女の考えは「この世界が本当にあるかどうかわからないんだから、想像こそが真実なんじゃない?」というものでした。
私は「論理は客観的な事実に基づいているんだ」と反論しました。想像や理想を真実と捉えるのは、ただの個人的な思い込みにすぎません。物事が論理的で、みんなが理解できるようになるには、客観的な事実が必要だと説明しました。
話し合いは続き、最後にはジェンダーの問題にまで及んでしまいました。結局、とても気まずい雰囲気になってしまい、職場では哲学的な話はしない方がいいと学びました。
両者の意見を客観的に考える
あれから数日が経ち、この議論について考えていると、単純にどちらがより合理的かを断定するのは難しいような気がしてきました。その根拠についてまとめてみます。
私の意見:
私の意見は客観性と論理性を重視し、検証可能な事実に基づいて議論を進めようとする科学的方法論に沿っていますが、「完全な客観性」の存在自体はそもそも議論の対象としていませんでした。
同僚の意見:
彼女の意見は現実の本質や知覚の限界について考察しようとする哲学的探究をするものでした。しかし主観的な体験や想像を重視して、検証可能な事実や共通の理解を軽視しているように考えられます。
両者の意見が噛み合わなかったのは、私が科学的な検証可能性を重視し、同僚が哲学的な存在論や認識論を重視していたため、議論の前提や目的が異なっていたからです。今、反省するとしたら、互いの視点を尊重しつつ、職場ではないどこかで議論をするべきでした。