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医師としてあまり口にしない技術的な悩み⑨

医師として仕事をしているとどうしようもない壁みたいなものがあります。つぎに紹介するのは、答えのない無数の問いが湧き、そのほとんどに答えられない、です。

人間の体にたいして、毎日さまざまな疑問が起きます。

一般の方が思いつくような疑問は、ほとんどは既存の知識で説明可能なものが多いですが、

医者として湧いてくる疑問に答えが出せるのはほんのわずかにとどまります。

たとえば、研修医の時に、目の前のデスクに座り、一緒に仕事をしていた20代の同僚がいました。

僕の次の就職先を紹介してくれたりもしました。

ある日、就寝中に家で心停止(ざっくりいうと心臓が動かなくなること)になり、僕の病院に救急車で運ばれ、そこで蘇生の甲斐なく息を引き取りました。

しかし、他の同僚に聞いてみると、1週間くらい前に、呼吸が苦しいと言っていて、実際聴診器を当ててみると「ヒュー、ヒュー」という音がしたと言います。この音はぜんそくなど、気道がせまくなっていて息を吐けない時にでます。はたして、この徴候は、同僚の死の原因だったのでしょうか。

処置した医師によると、気道の奥まで嘔吐物で詰まっていたといいます。なぜ就寝中に窒息する(窒息したかどうかは不明)ほどの嘔吐物があったのでしょうか。そして嘔吐の原因は何だったのでしょうか。

また、救急医によると、20代の心停止では蘇生行為をすると、結局助からなくても一時的に心臓の動きが戻ることがあるのになぜないのだろう、といっていました。

これらの疑問には答えられません。材料となる情報も失われています。

いずれも医師にとっては通常ではなく不可解なものばかりです。

一つの理由として、情報がたりなかったことがあると思いますが、

さらに、偶然という要素があると思います。
理由や意味があってできごとがあるのか、偶然があってたまたまそう見えるだけなのかを、少ない情報から明確に区別することはかなりむずかしいです。

さきほどの同僚の例では、胸の音はたまたまで、嘔吐物がつまっていたことには何の関係もないかもしれません。

答えのない問いをそのままにしておくのは、いささか苦しいことではありますが、やっぱりほとんど答えられないです。

そういった問いが浮かんでくること、回答が追いつかないことそのものが、私たちの限界なのかもしれません。

ほとんどの問いに答えは得られませんが、答えが得られないからと言って問いかけることをやめるのは得策ではないと思います。次回解説したいと思います。

続く