医師から見て弓道の指導は終わっている
僕は弓道とアーチェリーをやっていました。
両者は似て非なるもので、前者の練習や指導(者)は、人の体を扱うという視点からは終わっています。
多くの人が長い年月にわたって作り上げた体系がそもそもデタラメだったという一例として取り上げます。
アーチェリーとの大きな違いは、弓と矢、かけと言われる手につける用具のバリエーションがほぼ決まっていることです。
照準器をつけたり、スタビライザーという弓のブレを軽減する装置もつけられません。
また、アーチェリーは的の中心からどれだけの距離にあたったかで競われますが、
弓道では模様は書いてあるものの、的にあたる数で競います。
武道なので、体配と呼ばれる儀礼があるのも特徴的です。
弓道は学生時代に始める人と、青壮年期で近くの教室とかに通って習い始める人がいます。
前者では大体部活の顧問や先輩、後者では錬士、教士、範士といった指導者に教えてもらうことが多いです。(範士は少ないのでレアケースだと思います)。前者でも、指導者に教えてもらえる場合もあります。
弓道では段位とは別に、この三つの指導者の称号の試験があります。
その称号を持って人に教えられると認定されています。
弓道の指導は、人の体を扱うという視点から、そもそも物事を人に教えたり、上達させる技術としての体をなしていません。
指導者としての技術レベルが低い人が多いというわけではありません。技術そのものがないのです。
また、人格的には素晴らしい人もいます。(それはどこの業界も同じです。)
なぜ弓道という体系がここまで多くの人がやっているのにも関わらず中身が何にもないのか
3つの視点からの分析を紹介し、今後の糧といたしましょう。
解剖学が存在しない
弓道では矢を放った後、弓が自動的にくるっと返ってくる弓がえりという技術があり、左手の握り方(使い方)が肝になってきます。
僕が知る限り、その指導で、手の解剖構造に言及した人はいませんでした。
経験者の方は、日置流という流派で、「卵を掴むように握る」という表現を聞いたことがあると思います。これは解剖に近いですが、その言葉の背景を説明した人はいませんでした。(手のアーチ構造を保つという教えと思われます)
つまり、手の解剖特性を理解しないまま、言われた通り文字通り形だけの所作を体現しているだけということです。
江戸時代ならまだしも、そもそも筋肉がどこについているか、どんな作用があるのかは教科書に書いてあるのに、全く紐解かないというのはどういうことでしょうか。他の競技種目ではどこでもやっています。
解剖構造の基本的な知識がないのに、どうやって他人に力を入れる動作を教えられるのでしょうか。僕は初心者の頃からこれが疑問でした。
(スキルコーチや体育教師、部活の顧問にも当てはまります)
弓道の試験はこの辺の基本的な知識が問われません。なのでなくてもなれます。
解剖の理解は、次にお話しする人間の運動学の知識につながっていきます。
運動学が存在しない
抽象的な表現は、情報を圧縮するので、教えるときに効率的です。
弓道の指導は、「中心を意識して芯から引く」とか、「ここで伸びる」とかの言葉が多いです。
でも前述の通り、指導している人は、解剖学の知識がほとんどない(ゼロと思われる人も多い)ので、
ワードだけです。その奥にある解剖に基づいた運動学の理解がありません。(聞かれても答えられません)
例えば、大胸筋の線維方向に最大で伸長した方がいいので、水平外転をする必要がある。
これを実現するには、「胸を開くように」という言語化だと、うまくいきやすい。
みたいな考察や分析が必要とされています。初心者はできていれば必ずしもわかる必要はないかもしれませんが、
指示する側は知っていて当たり前です。
なぜこのような仕組みの理解が必要かというと、筋、靭帯、体型、外傷の既往などにより個人差があり、一人一人の動作を個別で分析するためですね。
あと、怪我を防ぐために、靭帯の過伸長、インピンジメントなどにも気付けないといけません。
数学・物理学が存在しない
弓には強さがあり、強いものから弱いものまで各自の筋力に合ったものを使います。
僕が聞いて唖然とした言葉は、
「理想的には同じ力で引き、放つ方向があってさえいれば強い弓でも弱い弓の力でも問題なく毎回同じところにあたるはずである」
です。(弓道教本というバイブルにも書いてあった気がします)
こんなバカげた現象は、現実では起こりません。
(コンピューター上の物理演算のかかった3次元空間シュミレーションなら正しいです)
現実世界では、ノイズとなる外乱が必ず入りますから、毎回同じように理想的に射るのは不可能です。
厳密に言えば、同じところに射るために練習するという目標すらちゃんちゃら間違えています。
練習は、弾着の統計学上の精度と真度を一定に保ち、的の枠内に納めるための努力といえます。
で、下の図を見るとわかりますが、
弓の力の強さは、弦の張力に反映され、弦の張力のベクトル上の和が、弓の射出力になります。
ここに、左右の手のぶれなど(本当は握りにかかるモーメントや弓を押す前鋸筋などの筋出力の時間的変化などもありますが)の外乱がわずかに加わるので、弓の射出力と外乱の和の方向に飛んでいきます。
弓の射出力が大きい(図ではベクトルの長さに相当)と、ベクトル和の性質から、外乱が一定である場合、ブレが少なくなります。(弓の射出力の方向と実際の力の方向の角度がブレ表しています)
なので、精度を高めるには強い弓を引くことが正解ですが、こんなの高校生でもわかります。
外乱をゼロとする条件のもと、叱咤激励するのは単なるハラスメントじゃないでしょうか。
物理学や数学の応用は、練習中の日常会話として当たり前にできた方がいいです。
以上のような、基礎的な理論がありません。
客観的な指標がないままやっているので、個人に目を向けると技術力の衰退も目立ちます。
教士七段でも、よく見ると狙ったところと違うところに毎回あたっているとか、
高段位だが、練習中ほとんど的に当たりもしないみたいな人も多いです。
権威があり高い塔のように体系的なものが形作られているように見えるが、中身はほぼデタラメという一例です。(歴史教育学とか、存命中の著者の小説研究とかも)
ここからは僕の意見ですが、
解剖や運動、数学的なベースのもと弓道の動作を細かく分析すれば、
「調子が良かった」で済ませている一過性の正確さや、
弓を引くことで起きる筋骨格の変化などについて一歩進んだ知見が得られるかもしれません。
必要なのは、靭帯や筋の特性など考えたことのないおじいちゃん師匠のいい加減な指導に納得する振りをするのではなく、
動作や身体に関する豊富な知識を念頭に、詳しく観察し、深い洞察に没頭することだと思います。そうやって世界は進んでいくんじゃないでしょうか。