ディベート教育を今すぐやめろ②
ディベートで勝つ技術は現実ではほとんど意味ないどころか害が多いです(選挙活動とかは例外だが本質的には一緒)
医療現場を例に、ディベート能力を育てるのがいかに不毛かについて説明します。
現実世界で学校で行われるようなディベートをそのまましてしまうと、とんでもない損害が出たりします。
医療現場では、患者の命、多くの人の健康、膨大な額の金、時間などが無駄になります。
ディベートで片方が勝ったとして、結果患者が不幸になったら、何しているこっちゃわかりません。
目的のために共に前進するディスカッションが消えて、ディベートになってしまう事態に特に注意せねばなりません。
医療を例に、ディベートやめた方がいい根拠をあげて説明していきます。
二つ目は、現実には正解がたくさんある、です。
ディベートでは、賛成か反対か、〇〇派か△△派などというように、相反する立場から討論します。
結論はどちらしかないので、かなりシンプルです。
学校ではそのルールの中で第三者をいかに納得させられるかを競うわけです。
しかし、現実世界でディベートすると、それぞれある場面では正しく共存可能なものも多いです。
例えば、前立腺という精液を作る臓器に癌ができることがありますが、治療法として、手術または放射線が主になります。(ホルモン療法や抗がん剤もあるにはあります)
手術か放射線のどっちが必要でもう片方は不必要という議論にはなりにくいです。
手術できない人には放射線の治療を、放射線ができない人には手術の治療ができるので、多くの人を救うことができます。
※厳密には優劣をはっきりするランダム化比較試験(少なくとも僕の知る範囲では)ないのは、もちろん政治的な理由かもしれません。でも実利的にもどっちかを廃止することにはならないでしょう。
現実の問題は、さまざまなケースがあり、手段をどっちかに絞らなくていい場合もあります。
絞らないといけないように見えても、併存させていいとこどりすることもできます。
でも、ディベートでは相手と自分の策をいいとこどりして、それぞれ単独の策よりも優れた選択肢を生み出そうという視点がないですよね。
相手と意見が違うから否定するというディベート方式で意見表明をすることが普通になって仕事やタスクをしていると、
行き詰まってしまうケースも多くなってしまいます。
否定された案にも見るべきものがあり、最終的に通った案に活かせる箇所があったとしたら勿体無いです。
相手の意見の否定をしたいという点でディベートを実際やっちゃうと、どうしても現実と乖離してしまうんです。
続く