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記憶力の悪さを強みに変えた者②


有名な感染症の専門家で、最新の研究も熟知していたあるアメリカの医師は、自分が学生の頃から、記憶力が他人より悪いとわかっていました。

自分の認識とは裏腹に、難しい病気をより正確に診断することができるという評価を得ていました。

しかし、記憶力の良い医師は、初見で患者を見た時、複数の可能性のある病気の中から、素早く最初に考慮すべきケースを挙げることができるが、彼にはそれができなかったそうです。

極めて可能性の高いと思われるケースについても、ずっと確信が持てなかったと言います。
最初に自分が考えた判断を信用しないことにしており、最初の判断が間違っているかもしれないという可能性を考えていました。

ゆっくり自分の考えを修正しながら一歩一歩真実に迫っていくことにしていて、結果周りより正しい最終判断を下す確率が高いということに気づきました。

一方、記憶力の良い医師たちは、最初の考えをあまり変えなかったとのことです。

自分のことを信じないで証拠に応じて考えを変えられる態度のことを、知的謙虚さと言います。

記憶力の良い医師たちとの対比でわかるように、最終的に現実として意味があるのは、記憶力より知的謙虚さです。

彼が、自分の能力に謙虚でい続けられてきたのは、記憶する力が人より弱いことに起因すると自分自身で考えていました。

しかし、彼自身、それ自体もある種の思い込みなのでは?とも考えていました。
すっきりとした因果関係で、さも事実であるかのように見えるからです。

したがって、客観的な証拠も探し求めていました。

https://www.science.org/doi/10.1126/science.1223252

2012年にサイエンス誌に出た研究によると、潜在記憶によって、不確実な状況(病気の判断など)での意思決定が、誤った方向に行くという従来の考え方が覆されました。

脳の中の海馬という領域がありす。
この領域は従来顕在記憶(はっきりとわかる記憶)を司る領域で、彼の記憶力の低さの原因となっていると考えられました。

しかし、海馬は、潜在記憶の連合の形成を駆動することがわかりました。

つまり、海馬の活性が高い人は、思い込みによる間違えた判断を下す可能性が高く、
低い人は、早まった判断をすることが少なかったということです。

彼の直感は当たっていました。記憶力が低いことそのものが、彼の慎重さにつながり、結果彼の判断の誤りを少なくしていった可能性があると考えられました。

彼の状況を耳にしたダニエル・カーネマンは、海馬の機能とは裏腹に、熟慮する能力が高いことによるものだという印象を持ったようです。

しかし、彼を診察した医師は、自分の脳の能力に疑いを抱いていることこそが医療の判断の仕方にうまくあっていたのだろうと考えていましたが、実証には至らないという結論でした。

この先には、彼自身のもっと深い考察があるのですが、割愛します。

ここは僕の妄想ですが、自分がやってみてできなかったため、客観的な事実から修正を繰り返したり、他の行動で補完したり、その行為をしないでいい環境に身を置いたりするのも、一つの脳の学習というか変化なのかもしれません。

もう少し、俯瞰してみると、記憶力がよかろうが悪かろうが、有限なわけですから、目の前の状況に完璧に対応できるわけではありません。要するにいずれにしろ、目にする現象の数に対して、記憶の量は常に少ないです。

そうなると、記憶力の良し悪しは実はあまり大きな問題ではなく、限られた記憶容量の中で現実に合う判断をするために、記憶力だけに頼らない方法を見つけ出して実践することが鍵なのかもしれません。

結局、記憶力がいいと、その事実に気づく機会が遅れたり、気づかなかったりするということかもしれません。確かに、なんでも一瞬で覚えられた僕の同級生のような人には、記憶力が、自然の織りなすパターンに対して少なすぎるという感覚は覚えにくいかもしれませんね。

現に60代で、実績も山のように積み上げて、自分はなんでもできると普段から吹聴している医師で、とんでもない病気の見逃しをして問題になったこともありました。

一方、記憶力が悪いと早めにその事実に直面することになります。その後のキャリアでは、前提で成長していけるなら、長期的にみると、有能になっていく可能性が高いです。

亀とウサギの寓話はここでも当てはまってくるかもしれませんね。