医者が病院を辞めた後⑨
僕は今、医業としてはわずかに仕事を趣味として行っているにすぎません。 ほとんどは、物思いに耽ったり、運動や読書や勉強や散歩をしながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。
今回お話しするのは、病院を辞めた後、
変わった行動についてです。
あらゆるもの・人が、教師(反面教師としても)になった
です。
僕が病院を後にして、漕ぎ出して行った理解不能な世界の中では、ほとんどのことは原理的に理解不能です。
あらゆるものから学ばないといけなくなった、きっかけは大きく分けて三つあります。
まず、世界では、処理不能な量の出来事が起こっている、です。
例えば、医療の世界で、僕たちが文献を読んで、Pubmed(世界最大の医学・生命分野の研究データベース)で見つけた研究を探しているのは、全部報告されたものです。
報告されていないものは、読めません。
病院にいると、報告されていないものの数は少数だろうと思い込んでいます。
そんなことは全くありません。そもそも、報告されていないケースの数が見積もれないことに気づきます。
誤嚥性肺炎(嚥下の機能が低下してしまって、食物などが、肺に入ってしまい肺炎になる)は、大まかな分類では、いわゆる食物残渣(残り)が肺に入り、最近などによる感染が起きる場合と、胃液が肺に入って、炎症が起きる場合(Mendelson症候群)に大別されます。
が、熱や咳が出て、あたかも肺炎のような症状があるにも関わらず、肺には炎症の像が見えない時が結構多いです。気管支の中には痰や残渣と思われるようなものが詰まっているだけ、というパターンです。
肺に炎症がないので、肺炎ではないはずなのですが、後々炎症が顕在化してくる時があります。
この現象に名前はないのです。
分類自体が不十分であることがわかりますし、
残業をしたくないから、流れ作業でこなす業務になってくると、このようなケースに気づきません。
だから、起きた出来事から学んでいくしかないし、誤嚥性肺炎のような頻度の高いケースでも、もう学ぶ必要はないというわけにはいかなくなります。
学ぶべき、学ばないべき対象の判断ができなくなってくるのです。あらゆることが起こるから。
次に、処理不能な変化が起こる、です。
言い換えると、予測不可能性や不確実性といったことでしょうか。
病院の中での変化は、上層部のおっさんたちが決めた方針が変わるとか、
激務に耐えかねて大量退職するとか、ある程度予測できて、タイミングもなんとなくわかることが多いです。(患者の急変は別)
例えば、
病院は年中一定の気温になるように調整されているので、
季節の変化に疎くなりますが、
季節が変わると、登場する疾患の頻度に変化が生じますから、これはカレンダーを見て、大体この季節だとインフルエンザが多いなと身構えます。
事前確率(元々起こりやすいのかどうか)の考えを使うと、インフルエンザが多い時期は、検査の適応を広くしておくと、引っかかりやすくなります。実際の医療現場でも使われている考え方です。
でも、思い出してください、
新型コロナウイルス感染症は、季節など関係ないタイミングで流行が起こっていました。
理解不能の世界では、経験そのものが予測に役に立たないことが起こります。
過去のデータや経験から、変化がどうなるのか、なんとも言えないってことになっちゃうので、
変化と伴走しながら、リアルタイムで学習するしかなくなります。
新型コロナウイルス感染症は、これからどうなるのかわからず、慌てふためいていましたが、
理解不能な世界では、普通です。
エアコンの入った建物の中にいたから気づかなかっただけで、関係なく外の天気は毎日変わっていたんです。
3つ目は、物事が処理不能な深さを持っている、です。
出来事にまつわる、関係の複雑さが理解不能なレベルと言い換えられます。
男性ホルモンをより分泌するにはどうしたらいいかといった、質問を受けることがあります。
答えるのは極めて難しい。
そもそも、より分泌する必要があるのか、病的に足りていないのかも検討する必要がありますし、
内分泌学はもとより、スポーツや運動の生理学、食事や栄養、精神状態、加齢など、多数の領域にまたがることは普通です。
深く理解しようと思ったら、それぞれに一生分の時間がかかってしまうかもしれません。
相反する研究や知識も多く、それぞれの分野でも一つの結論が出ない可能性も高いです。
しかも、上に挙げた領域だけで全部という保証もないです。
まだ考え落としている視点があるのかもしれません。
となると、時間効率を考えても、よく知っている人に教えてもらった方がいいし、
知識自体も不十分かもしれないから、各個人の経験も切り捨てるわけにはいきません。
「医者は全部勉強したことがあるから、大体わかる」みたいな態度は馬鹿げています。
所詮、教科書の表面的な文言を知っているに過ぎません。
三つの点について、お話ししてきました。
病院の中のシステムは理解可能なことが多いです。(患者の行動や容態は別)
人間が作っている有限の要素のやり取りなんで、わかります。
10年もいる古参看護師は、院内の隅々まで知っているでしょう。誰と誰が付き合っているかまで。
外に出ると、確かなことなどほとんどなく、
途方に暮れながら、決定し、失敗し、傷を負うしかないということに嫌でも気づきます。
さらに、理解不能な世界では、序列が消滅します。
年上だから学べる、年下だから教えてあげるだけ、みたいな習慣に意味がなくなります。誰でも、教師であり、反面教師になります。
例え、未修の人を教えるときでも、人が学ぶ過程を学ぶこともできます。
子供からは、マインクラフトで作曲する方法を、
愉快な大学医局同士の抗争からは、大人が子供より愚かになっていく様子を学べますよね。
範囲を限定するべきではありません。
何が大事かはあらかじめ判断できないからです。
続く