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[読書記録] 英語で発見した日本の文学

大学時代に川端康成の『山の音』を英訳で読んだとき、これこそ本物の文学だと、嬉しい気持ちになった。しかし、さらに数年後、初めて日本語の原文で読んでみると、もう感動のレベルがぜんぜん違った。まず、原文のもつ美しいリズムや、きめ細かい描写力などに圧倒された…。『日本人の英語』の著者が語る、日本文学の新しい読み方。

Amazonより抜粋

[2008-01-18]
外国人による日本語・文化・文学の考察。著者による日本への深い愛情が伝わってきて、非常に心地よい本です。この本の中で、著者は次のように書いています。

川端康成の「山の音」の英訳を読んで感激し、原文で読んでみたくなったから日本語を勉強するようになり、そして数年後に日本語で同じ本を読み、その原文のもつ美しいリズムや、きめ細かい描写力に圧倒された。

本文より抜粋

よく、英語に過度に期待を寄せる人に対して、「言葉は単なるコミュニケーションの道具でしかない」などと言ったりしますが、本当に単なる道具としか思っていなかったら、この著者のような発見はできないのではないかと思います。英語を道具として使いたいのか、楽しみたいかは人によって違うでしょう。私にとってはどちらかと言えば英語は『仕事や勉強をするための道具』であり、日本語が『楽しむための言葉』です。

でも、この著者の次の姿勢には脱帽しました。

古典や現代文学だけでなく、俳句や、標語や、小津映画や、サザエさんについて、はたまた女子高生が「チョウむかついた」では気持ちを言い表せなくて、「シャカリキむかついた」と付け加えたことや、若いお母さん達が「お幼稚園」などと妙な敬語表現を使ったことまで、一つ一つの言葉を楽しんでいる。

本文より抜粋

この著者を見習ってもっと日本語を楽しみたいなと思います。

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