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イラスト名建築ぶらり旅 season2① とこなめ陶の森陶芸研究所(常滑市立陶芸研究所)

妖艶な紫は画家・クリムトへのオマージュ?

今回の行き先 とこなめ陶の森陶芸研究所(常滑市立陶芸研究所)/愛知県常滑市/1961年完成

2021年から2023年にかけて、21回にわたってお届けした「イラスト名建築ぶらり旅」。復活を望む声がちらほらあるとかで、「season2」として再開することになった。season1は「ぶらり」と言いながらもほぼ月1のハイペースで巡っていた。season2は本当の意味で「ぶらり」と、かつ、これまで取り上げてこなかったタイプのヘリテージ建築にも対象を広げてゆっくり巡っていきたい。

今回リポートする愛知県常滑市の「とこなめ陶の森陶芸研究所」は、「一周まわって最先端」の建築だ。常滑市が運営する「とこなめ陶の森」には陶芸研究所のほかに、資料館と研修工房があり、その中でも最も古い1961年の完成。よくこんなものが当初の姿で残っているなあ……。建築関係者であれば、口あんぐりである。

実は、ここを訪れたのは、常滑市の山田朝夫副市長からリクエストがあったからだ。「陶芸研究所がどうすごいのか、一般の人にわかるように書いてほしい」と。

2023年には登録有形文化財に指定されるなど、建築界ではよく知られる名作だ。これまでも著名な先生方が大勢訪れているのに、素人に毛の生えたような私(宮沢)に期待を? きっと先生方の解説は、すごさが多岐に渡り過ぎて、的を絞って説明しづらいのだろう。わからないでもない。
 
そういうことならば、まずは結論から言いましょう。この建築は「造形の独創性」と「色彩」がすごいのです。

戦前・戦後と変わり続けた建築家、堀口捨己

「すごさが多岐に渡り過ぎてしまう」のには理由がある。 設計者である堀口捨己(すてみ)が一言では言い表しにくい人なのだ。このコラムを読み続けている人は、名前に記憶があるだろう。「八勝館(はっしょうかん)」や「如庵(じょあん)」の回に登場した堀口捨己だ。
 
堀口は1895年、岐阜県生まれ。東京大学建築学科に進むと、在学中から建築界で名を知られるようになる。というのは、東大の同級生だった石本喜久治や山田守らと1920年に立ち上げた「分離派建築会」の中心メンバーだったからだ。分離派建築会は「建築は芸術である」という強いメッセージを掲げ、百貨店などで展覧会を開いた。その頃に堀口が提案した建築は、「表現主義」と呼ばれる自由な造形の建築だ。
 
卒業後の堀口は、表現主義的なデザインの実践を経て、1930年前後には「ザ・モダニズム」とも言えそうなシンプルなデザインに移行する。その後は戦争が深刻化していったこともあり、実作から離れ、茶室など日本の古典建築の研究に没頭する。
 
研究成果が発揮されたのが、終戦から5年後に完成した八勝館の「御幸の間」。これは「伝統意匠と現代建築の統合」を実現したエポックとして、2020年に重要文化財に指定された。
 
堀口は設計の一方で茶室の研究も続け、「如庵」を擁する「有楽苑」の移築(1970年に神奈川県大磯から愛知県犬山へ)も指揮した。

そんな感じで傍目には「変転の末に和に行きついた」と思われていた堀口が、60歳代後半になって完成させたのがこの陶芸研究所だ。どう見ても“和”ではない。その前年(1960年)に完成した「明治大学和泉キャンパス第2校舎」も和とは程遠い箱型建築だが、そちらは“モダニズムへの回帰”と捉えればまだ理解しやすい。対してこの陶芸研究所は、何に分類すればいいのか、建築に詳しい人ほど迷う。

屋上のツノ、紫のグラデーション、
銀色の展示室…

一見すると、水平性を強調したモダニズム建築だ。しかし、訪れた人が最初に見る資料館側(南西側)からの遠景は、フラットな屋根の上にギザギザしたツノのようなものが見える。なんだあれは…。

写真1 陶芸研究所の遠景(左)。屋上にツノのようなものが見える。
手前の「常滑陶芸研究所」と書かれた門も当初からあるもので、これも登録有形文化財

近づくと、その色が衝撃だ。白ではなく、薄い紫色なのだ。しかも、庇や足下にはグラデーションがついている。

黄金の円盤が付いた扉を開けて、展示室へと進む。中は一面が銀色。そして、見たことのない折れ曲がった造形の天井面。その4カ所から自然光が差し込む。

写真2 4つのトップライトから自然光が入る展示室。
壁も天井も展示ケースも銀色。展示ケースも堀口のデザイン

通常は非公開の屋上にも上らせてもらった。遠くからツノに見えたものは、展示室のトップライトに架かる屋根だった。巨大な折り紙のような造形だ。

写真3 屋上。なんだこの大げさな形は?
アクリルブロックの屋内側には展示室のトップライトがあるだけ

冒頭に書いたように、見学中ずっと「口あんぐり」状態だ。

常滑の名士、伊奈長三郎氏が寄付

入り口左手の人物レリーフをじっくり見ると、こう書かれていた。

写真4 入り口左手にある伊奈長三郎のレリーフ

「陶藝研究所は、昭和三十四年十月、伊奈製陶株式会社社長伊奈長三郎氏が常滑陶藝の興隆を念願されて同社株式十五万株を常滑市に寄付、その資金によって建設され且つ運営されるものである
ここに篤志を讃えてその像をかかげる
常滑市」

この施設は、伊奈製陶(のちのINAX、現LIXIL)の創業者である伊奈長三郎(1890~1980年)が常滑市に寄付した株をもとに建設された。岐阜県出身で東海地域での実績が多かった堀口が設計者に指名されたことに不思議はない。だが、完成時に70歳を超えていた伊奈長三郎(1890~1980年)は、八勝館のような和風のシブい建物を想像していたのではないか。

紫のグラデーションはモザイクタイル

それでも、こんなに変わったデザインにGOサインが出たのは、堀口が外壁の全面に伊奈製陶の「カラコンモザイク」を使用することを提案したからだろう。そう、外壁の薄い紫色は塗装ではなく、13mmほどの小さなモザイクタイルを貼りつめたものなのだ。カラコンモザイクは1953年に伊奈製陶が発売したもの。顔料を練り込んで発色させているので、塗装と違って色があせない。煤(すす)などの汚れを雨で洗い落とせる効果もあった。
 
そもそも日本では、伊奈長三郎の父親の伊奈初之烝が1910年に「陶製モザイク」という名称で発表したものが、初のモザイクタイル製品といわれている。堀口はそんな親子二代で開発したカラコンモザイクをぜひ建物の全面に使いたいと提案したのだろう。そして、色にこだわった。外壁のタイルの色は紫1色だが、グラデーションがついている部分は、濃度の違う4種類の割合を変えて貼っている。絵画の点描法のようなやり方だ。
 
アートが好きな人は、分離派、鮮やかな色彩、グラデーション、点描…と聞くと、思い浮かぶ画家がいるではないか。そう、グスタフ・クリムト(1862~1918年)だ。
 
堀口らが1920年に立ち上げた「分離派建築会」は、クリムトが中心となって1897年に結成した「ウィーン分離派」の影響を受けたものだ。分離派というムーブメントは、アートと建築の領域を超えて、21世紀初頭に世界各地に広がった。堀口は建築だけでなく、クリムトの絵画の影響も受けていただろう。
 
堀口は「カラコンモザイク」のサンプルを見て、クリムトのような鮮やかで妖艶な色彩空間を実現できる、と思ったのではないか。クリムトは紫をよく使う画家だが、後期の代表作に「9歳の少女(メーダ・プリマヴェージの肖像)」(1912年)という絵があって、画面の半分近くが薄い紫色だ。この絵を見ると、「元ネタはこれに違いない!」と思ってしまう。

色が薄紫だとすると、建物の形が和風では色に合わない。自由な曲線だと分離派時代に逆戻りだ。堀口は、合理性を前提にしたモダニズムのデザインを基調にしつつも、常滑の地域性を加えることを試みたのではないか。例えば、展示室の天井の造形は、民家の切妻屋根を思わせる。そして、屋上のツノは、方形屋根を4つに分解して逆向きに置いたと見ることもできる。古典的な建築の型をデザインに持ち込む手法は、後の「ポストモダニズム」の先取りともいえそうだ。

…と、そんな不確かな説明は、建築の偉い先生方はたぶんしない。これは筆者の持論だが、建築探訪の最大の面白さは「妄想すること」だ。堀口捨己の建築の多様さは、妄想にうってつけ。答えを押し付けないデザインなのだ。そして、この陶芸研究所は妄想のための材料が竣工時のままごっそり残っている。だから「一周まわって最先端」なのだ。
 
あなたも現地を訪れて、「いやいや、もっとこういう見方もできるだろう」と妄想を楽しんでほしい。

■建築概要
とこなめ陶の森陶芸研究所(常滑市立陶芸研究所)
所在地:愛知県常滑市奥条7-22
完成:1961年10月
設計:堀口研究室(堀口捨己)
施工:松井建設
構造:鉄筋コンクリート造
階数:地下1階・地上2階
延べ面積:510㎡
公式サイト(とこなめ陶の森):https://www.tokoname-tounomori.jp/

写真5 2階和室前のバルコニー
本項では全く触れなかったが、ここだけでも1本記事が書けそうな妄想の宝庫
写真6 エントランスの吹き抜けと“吊り階段”を2階から見下ろす(通常は入れないエリア)。
右が常滑市の山田朝夫副市長。「常滑の恩人である伊奈長三郎さんが寄付してくれた株を元に建設された建物なので、その魅力を市民の皆さんにもっと知ってもらって、大切に使い続けたい」副市長。本連載案内人の西澤崇雄氏(日建設計)が今後の検討に参加している


取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「はじめてのヘリテージ建築」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など


西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ
ヘリテージビジネス部 部長

ダイレクター ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。




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