見出し画像

イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑰

免震改修で伝える「五一」流バロック

今回の行き先
京都市役所

見出しにある「五一」は、建築家の武田五一(たけだごいち)のことである。今回リポートする京都市役所本庁舎の魅力は、この人のことを知っているとより深く味わえるので、そこから始めたい。
 
武田五一(1872~1938年)は、広島県福山市出身。京都大学建築学科を創設した偉い建築家で、京都大学キャンパス内に数多くの建築が残る。「関西近代建築の父」と称されることも多い。
 
京都市役所本庁舎は歴代三代目の庁舎だ。武田五一の監修のもと、鉄筋コンクリート造の本庁舎が1927年(昭和2年)4月に竣工した。さらに1931年(昭和6年)に三代目市庁舎を改築して本庁舎西館を建設。現在の本庁舎の形になった。

エリート中のエリート、
あだ名は「インゴーゴイチ」

本庁舎の設計は、「顧問」という立場の武田の監修のもとに京都市営繕課が行い、意匠は主に嘱託職員であった中野進一が当たった。中野は京都大学建築学科卒で、武田の教え子。中野はこのとき、京大を卒業して間もなかったので、主要な部分は武田の思いを中野が図面化したと考えるのが順当だろう。
 
師匠の武田五一は、東京帝国大学造家学科出身。当時の東大造家学科には、辰野金吾を中心とするそうそうたる教授陣がいたが、武田は卒業論文「茶室建築」と卒業設計「音楽学校とコンサートホール」により、首席で卒業。
 
大学院に進み、1899年(明治 32 年)に退学して、東京帝国大学工科大学の助教授に。1901〜1903年にはイギリスを中心とする欧州に留学。帰国後すぐに京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)教授となり、1918年(大正7年)には、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の校長として名古屋に転任。さらに1920 年(大正 9 年)、京都帝国大学工学部の建築学科の創設とともに教授となって京都に戻り、以後1938年に亡くなるまで京都で過ごす。……というエリート中のエリートであった。

その授業たるや、厳しいことで有名で、学生たちも「インゴーゴイチ(因業五一)」と言いながら製図をしていたというエピソードが伝わる。若い人は「因業」という言葉を知らないかもしれないので補足しておくと、「頑固で無情なこと」「仕打ちのむごいこと」という意味である。
 
そんなすごい教育者であることは、筆者もなんとなく知っていた。エリート過ぎるプロフィールから、勝手に「辰野金吾の流れを関西に広めた保守的な建築家」と思っていた。京都市役所本庁舎も何度となく前を通っていたが、中に入ったことはなかった。ちょっと威圧的な外観だし……。

写真1:工事前の本庁舎と西庁舎

新設された屋上庭園から塔屋を見てびっくり

しかし、今回、新設された本庁舎の屋上庭園から、塔屋の周りの装飾を間近に見て大反省。なんだこのデザインは!

写真2:屋上庭園
写真3:塔屋

京都市役所本庁舎のデザインは、一般的には「ネオ・バロック様式」に属するとされる。バロックというのは16世紀末から17世紀初頭にかけてヨーロッパに広まった装飾過多の建築スタイル。語源は「歪んだ真珠」だ。ネオ・バロックは18世紀後半から19世紀になってそれを復興しようとする流れで、各国で国家建築に採用された。日本でもネオ・バロック様式は、官庁建築の正統的様式として多くの建築に採用された。だが、現存するものは少なく、関西では京都府庁舎、兵庫県庁舎、そしてこの京都市役所が残るのみだ。
 
というのが、この建築の正しいデザイン解説であるわけだが、屋上庭園から見える装飾は、筆者には「ヨーロッパの真似」とはとても思えなかった。


公式資料によれば、塔屋に並ぶ小塔は、「毛筆」をかたどったものという。なるほど、そう言われると、そんな気も。壁面に凸凹を付けた塔屋(毛筆も含めた全体)はインドをモチーフにした造形とのこと。ふーん。そして、小塔の下のバルコニーの支持部の「肘木(ひじき)」は日本に定着した中国的なモチーフ。へー、そうなのか。
 
そんな読み解きは筆者にはとてもできないが、武田が留学したヨーロッパのパクリでないことは筆者にも分かる。これらの装飾を見て筆者が思ったのは、アジア的というよりも「まるで古代遺跡! フランク・ロイド・ライトみたい!」ということであった。
 
こういう勘は当たるもので、調べてみると武田とライトには接点があった。

ライトと武田五一の深いつながり

日本に強い憧れを抱いていたライトは、1905年の初来日で全国を精力的に視察し、そのとき、武田に出会った。ライトは1867年生まれで武田より5歳上だが、互いの建築姿勢に意気投合。1913年の再来日でも再会し、ヴァスムート社刊の作品集を武田に贈った。それを1916年、武田が編集して日本で最初のライトの作品集を出版させた。えー、あの有名なライト作品集って、日本版は武田が編集したものだったのか!
 
ライトは1914年に帝国ホテルの設計を依頼され、翌年に東京事務所を開設。施主と大揉めして日本を離れるとき、ライトは武田に帝国ホテルの石こう模型を贈ったという。

帝国ホテルの建設は弟子の遠藤新の指揮のもとその後も続けられ、1923年に竣工した。この頃のライトは、マヤ遺跡に代表されるネイティブ・アメリカンの装飾に強い影響を受けていて、帝国ホテルも大谷石を彫ったマヤ風の装飾がこれでもかと使われていた。

独自の装飾を目指したライトと武田

この頃、ドイツではバウハウス流のモダニズム建築が提唱され実現されつつあった。ヴァルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエらによるツルっとした建築だ。これに対して、ライトの建築は“ライト様式“と呼ばれることもあるように、ライト独自の装飾的な建築を目指したものだった。

京都市役所は帝国ホテルの4年後の竣工だ。ライトの作品集までつくった武田がその影響を受けていないはずがない。

武田もライトと同様に、ヨーロッパの歴史とは違うモチーフを積極的に取り入れ、自分独自の装飾的な建築を目指したのだろう。それは、室内を見てもよく分かる。エントランスホールのアーチは、葱花形(そうかがた)アーチと呼ばれ、イスラム的な影響とされる。そして、コーナー部のシマシマ装飾や柱の足元のランダムなタイル張り。ライトも「ファンタスティック!」と称賛しそうなグラフィカルな装飾だ。

写真2:エントランスホール

本庁舎は免震改修のうえ、当初の意匠を再現

そして、今回、ここでようやく案内役の西澤崇雄さん(日建設計ヘリテージビジネスラボ)が登場する。本庁舎は、執務室の狭あい化や設備の老朽化、耐震性能の不足などから、一時は解体して建て替える話も持ち上がっていた。それが、残して使う方向となり、日建設計の設計で本庁舎の改修工事と西庁舎の建て替え工事が進められ、2021年9月から供用を開始した。

本庁舎の改修のポイントはいくつかある。1つは、「免震」によって地震の揺れを軽減したこと。免震について詳しくは、「名古屋テレビ塔」の回を参考にしてほしい。ちなみに、本庁舎での免震を含む構造設計を担当したのは、ここにいる西澤さんだ。西澤さん、こういう仕事もやっていたのか。何だか誇らしい。

本庁舎改修のもう1つのポイントは、事務室としての機能を現代の使用レベルに合わせながらも、かつての特徴的な装飾を可能な限り、再現したこと。丸ごと再現した「正庁の間」という部屋もある。1階のエントラスホールやそれに続く廊下も、改修前は全くこんな印象ではなかったという。雲の上の武田もさぞや喜んでいることだろう。

写真3:竣工当時を復元した正庁の間
写真4:エントランスホールと廊下 ビフォーアフター

日建設計は、既に共用を開始した西庁舎と、現在建設中の北庁舎の設計も担当している。全体の完成は2024年度(2025年3月)の予定だ。
 
古い建築の増築には、古いデザインに合わせるというやり方もある。しかし、こんなに独自の装飾に囲まれた本庁舎の真似をしたら、ガチャガチャしたものになるのは目に見えている。日建設計は、西庁舎、北庁舎とも、ガラスとルーバー(板状の材料を隙間を空けて並べたもの)によるすっきりデザインでまとめた。

写真6:西庁舎外観

いろいろな方法があるとは思うが、現代らしい回答だと思う。きっと武田が生きていたら、バロックではなく最先端のデザインで増築しただろう。

武田によるモダニズムの傑作が大阪に

そう思うのは、筆者が勝手に「保守的な建築家」と思っていた武田の主要プロジェクトの中に、「今見てもモダン!」というすっきりデザインの空間があるからだ。
 
それは、大阪の御堂筋線の駅だ。この連載でも取り上げた銀座線に次ぐ日本で2番目の地下鉄として1933年、梅田-心斎橋間が開業した。開業時の3駅(梅田駅、淀屋橋駅、心斎橋駅)はいずれも武田の設計で、地下の大空間が印象的だ。上り下りのホームを1つにまとめることにより、高い天井で包まれ、ホームに柱がない駅とした。淀屋橋駅と心斎橋駅については、当初と全く同じではないものの、伸びやかなアーチ天井を邪魔しないデザインが今も踏襲されている。

京都市の英断により、京都市役所が再生されたことで、筆者は100年前を生きた武田五一という建築家の挑戦心を知った。そして、今まで「例外」と思っていた御堂筋線の駅と他の建築群がつながった。武田は御堂筋線開通の5年後に亡くなるが、ライトは戦後まで生きて、グッゲンハイム美術館(1959年)のようなツルツルすっきり建築を実現する。ライトが日本の親友に影響を受け、「オレだってモダニズムやってやる!」と思ったのかもしれない。
 
あくまで妄想だが、そんな妄想が広がるからこそリアルな建築は面白い。実物がある限り、物語は風化しない。京都市役所に行ったら、ぜひ本庁舎の屋上庭園から塔屋の装飾を間近に見て、あなたなりの武田五一像を妄想してほしい。

■京都市役所本庁舎
所在地:京都府京都市中京区上本能寺前町488
竣工年:第1期1927年、第2期1931年
改修年:2021年
構造:鉄筋コンクリート造
階数:地下2階 ・地上4階、塔屋
設計者:武田五一(竣工時顧問)、中野進一(京都市営繕課、竣工時設計)
施工者:第一期:山虎組・松井組・松村組、第二期:津田甚組
改修設計者:日建設計
改修施工者:大成・古瀬・吉村特定建設工事共同体

取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など

西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ
ダイレクター ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?