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言葉が世界をつくる
対話とは何か?議論と何が違うのか?
気になったら語源に当たろう。本を読もう。
語源の違い。
「議論」(discussion)はpercussion。「たたく」「壊す」ということ、「相手を打ち負かす」ということ。
「対話」(dialogue)は「意味や言葉(logos)の流れをつくること(dia)」、誰かが誰かの「正しい」を打ち負かすというような戦いはなく全ての意見がその人にとっての真実。
かつて「仕入れ」た何の役に立つかわからないが抱えていた知識が、「会って、話すこと。」を読み進める中で響き合った。これこそ「出会い」とゆうことだと実感した。
対話は、他人と向き合うことではなく、他人と同じ景色をみて、コトに向き合うことなのだと改めて教えてくれた。
その同じ景色とゆうのは、どこかで仕入れた、いつ役に立つか分からない知識を共有出来るタイミングのことなのだと。
just money たかがお金、されどお金。貨幣や金融をどのように再定義したいか?考える機会になる出会いの連鎖。
#justmoney #お金のむこうに人がいる
誰かと分かり合おうとするのではなく、自分の興味の赴くままに本を読み、ある日出会うかもしれない偶然、それが心地よく、生きてて良かったな、と思う瞬間なのかもしれない。
#dialogue
#デヴィッドボーム
#会って話すこと
#読みたいことを書けばいい
お金(貨幣)の三つの機能とは、
①決済手段(支払手段)としての機能
②価値尺度としての機能
③価値貯蔵手段としての機能
である。
さらに
“バンカーとは、おカネを美しく使う人を探してくる人のことをいう”(チャールズ・アイゼンシュタイン『聖なる経済学』)
つまりおカネと言葉が同じものならば、“バンカーとは、言葉を美しく使う人を探してくる人のことをいう“と言える。
さらにはその美しさを数値化することが出来る人なのかもしれない。
では、言葉を美しく使う人とはどんな人なのか?
正しく使うのではなく美しく使う。
それは決まった正解、教科書に載ってる過去から決まった「正しい」ではなく、一人ひとりの主観であり、個人の中にあるものが「美しさ」なんだと思う。
他者との関係性においてどちらが、誰が「正しい」かではなく、お互いに何を「美しい」と感じるか?
だからこそ、個人が一人ひとりの主観としてどういったモデルを有しているのか?という問いに対する1つのヒントがこのメンタルモデルだと思う。
自分が見て見ぬふりをしていた不都合な真実を思い出させてくれる一冊。
これはインテグラル理論のIと向き合うことにも通ずると思う。
インテグラル理論とは、人間の意識や行動に関するメタ理論です。
世界を、2つの軸、4つの視点で捉えて、クオドラント(4象限)に分けている。
金融の世界では、クオドラントのうち、これまで主に見られてきたのは「真」(it.its)でしたが、足もとでは「善」(We)を見始めている。そして、「美」(I)は?とゆう問いかけです。
対話の場では、「肩書きを外して…個人として」って耳にしますが、「肩書を外さずに、個人として」統合された存在であることは、金融の世界ではハードルが高いようです。
それは何故なのか?就職面接の時には自分の強み弱みを分析して、エントリーシート書いて、具体的なエピソードも交えながら面接に臨んでいたのに…