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不完全を愛してる

人はみんな完璧を求めるよね。

完璧主義な人もいる。

こだわりがあって、どうにもゆずれない。

勉強しようと思ったら、全部覚えなければ気が済まない。

続けると言ったら、体調悪くても続けなきゃいけないと思ってる。

誰かに優しくすると決めたら、自分を殺してでも実行する。

失敗が許せない。

みんなみたいにうまくできなきゃ嫌だから、挑戦すらできないことがある。

はじめてのことに異常に不安を感じる。

最初からうまくやらなきゃいけないと思ってる。

自分の足りない部分が許せない。

周りと比較ばっかりして、自分を貶める。

自己否定の渦にはまって抜け出せない。

そんな悩みに苦しんでいる人は、この世にごまんといる。




私たちは完壁ではない。実は、完璧な人など存在しない。

みんなみんな不完全な存在なんだ。



そんなことは知ってる!って思ったと人もいると思うけど、

私たちのほとんどは、不足ばかりに注目し、「まだまだ足りない!」「こんなもんじゃない!」って、完璧を目指そうとする。
そんな姿を、親も教師も友達も、社会も、みんなが「もっと!もっとだ!」と後押しする。

それがあるべき姿だって、教えられてきた。
そうすることが正しいと、思いこまされている。
大人自身もみんなそう教わってきた。

だから、完璧などにはなれないのに、完璧を目指す。
そして完璧に慣れなくて、絶望する。



もう一度言うけど、私たちは不完全な存在だよ。

でもそれが、私たちの短所であり、最大の長所だ。



すべてを知っている。すべてをもっている。
なにもかもできる。願いもすべて叶う。完壁な世界。

完壁であるということは、驚きも、発見も、がっかりも、わくわくも存在しないということ。

感情が動くこともない。
毎日完璧な人生が続く。
最初はいいかもしれない。
けれども、毎日同じ曲を延々とループしているのと同じ。
そんなの楽しいかな?


完璧であるということは、同時に終わりを意味する。
完璧以上が存在しないから。

そこに発展の余地はない。
そこに成長の余地はない。
そこに学びの余地はない。
そこにわくわくは存在しない。


そんなものを誰が望むのだろうか。
(物好きな人はいるかもね)


みんなが完全な存在だったら?
それはみんな完璧な同一人物ということになる。
出会う人みんな自分だよ。
それの何が面白いの。次に言うことも、やることも、全部わかるよ。
というか話さなくても分かるよ。


みんな違って不完全だから、お互いに学べるし、成長できる。
ワクワクした人生を送れる。
不完全だから、人生は楽しいんだ。
不完全だから、人間関係面白いんだよ。
いつだって完璧じゃないから素晴らしいんだ。


完璧な人生なんてくそくらえだ!
私は、完璧を嫌悪する!

って言ったら言葉強いけど、そんな感じ。
不完全を愛する。の方がいいかな。


結局のところ、私たちはどこまで行っても不完全。
だから完璧になろうと努力する。
完璧になれなくて落ち込む必要は全くない。
その努力によって、成長したり、学んだりすることを楽しめばいいの。
結果ではなく過程だよ。その経験こそがあなたの価値だよ。


単調な人生ではなく、変化に富んだジェットコースターを楽しもう。

これはどんなことにも適応する。
人間関係も、恋愛も、勉強も、仕事も、スポーツも、人生も、ぜ~んぶ一緒。

いろんな変化を楽しもう。
完璧になる必要はない。
その過程で得るものを心から楽しもう。



この不完全な世界、不完全な自分、不完全な相手、不完全な環境。
不完全なすべてを、みんなで愛していこうよ。




読んでくださり大感謝!
かく言うニキチャコ自身も、失敗したくないタイプの完璧主義にとらわれています。
自分自身と対話し、分析し、知れば知るほど、不完全極まりないとわかって落ち込む。笑
けれどそれが、私たちの長所と思ったら、楽に楽しく生きていけると気づきました。
みなさんも楽しく生きていきませんか(^o^)
ニキチャコでした!ではまた~!

https://note.com/nikichaco/n/nf748290b36f0


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