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娘と公園に散歩に行って、がっかりした話

「子猫、4匹も見たよ」

「また子どもが生まれたか……」



我が家の庭には、避妊済みの猫、ミケが居候している。

おばあちゃんネコで、基本的には敷地内にいる。
非常に誰に対しても近寄っていく、稀有な野良猫だ。

ミケは、私たち家族が公園などに散歩に出るとき、歩く速度こそ違えど、公園まで一緒についてくる。
そして、その場にいる人たちに寄っていって、たくさん撫でてもらう。
私達が帰るときには、「ミケ、帰るよー」と一声をかける。
すると、ついてくる。

カギしっぽの不思議な三毛猫だ。


最近、夜散歩していると、公園の近くの空き家らしきところで黒猫の子ども達がいるのを見つけた。

「また生まれたのか……」

家に帰ってから、妻とそんな話をしたの覚えている。



その公園に行ったら、人が集まっていた。

その中にいた知り合いに、何の集まりか聞いたら、先ほどの黒猫たちの糞害について話し合いだったらしい。

そして、その黒猫たちに餌をあげているおばあちゃんがいるのだそうだ。


だがしかし、そのおばあちゃんは「エサはあげていない」の一点張りだったと知り合いは言った。

ふむふむと聞いていたのだが、そのおばあちゃんの様子を説明するとき、知り合いが言った言葉に、なんとも言えない悲しい気持ちになったのだ。


知り合いは、しらを切ったおばあちゃんのことを「老害」と言った。

ネコの糞はクサイ。それは私も飼っているからよくわかる。
庭にされたら嫌なのもよくわかる。されたことあるから。
しらを切られてイライラするのも分かる。

しかし、きっとその中にいる人、誰一人としてそのおばあちゃんのこと知らない。
正確には、この世界にいる誰一人として、そのおばあちゃんが何を見て、何を感じ、どんな思いを内に秘めているかなんてわからないはずだ。

「お前こそ知らないのにいうな」と言われることは承知である。

けれど、そのおばあちゃんも、おばあちゃんにしか分からない地獄を生きてきたのだ。自分たちと同じように。

ネコちゃん家族に情けをかけるのが、生きがいの一つになっているかもしれない。
可愛くて仕方ないのかもしれない。

すべては想像するしかない。

じゃあ家の中で飼いなさいよ。と言われるかもしれない。

老い先短い人生で、動物を飼うことの大変さも知った上のことかもしれない。

責められると分かっていて、「わたしがやりました」と言える覚悟の決まった人間はなかなかいない。
怒られると分かっていれば嘘をつく子どものように。

寄り添う言葉と姿勢があれば、おばあちゃんの態度と話し合いの結果は変わっていたかもしれないと思う。



思考は言葉に表れる。そして、言葉は伝染する。



そんなことを考えていると、娘は知り合いの子どもに声をかけ、遊ぼうとしていた。


そんなときに、間が悪くミケが遅れてやって来てしまった。

今来るんじゃない…… と内心思っていたが、来てしまったからには仕方ない。

ミケはいつも通り、親や子ども達の近くを通って様子を見る。

すると滑り台の上の知り合いの子どもがミケを指さし「死ね!」と叫んだ。

その様子を横目で見ながら、「最近これが流行っているのよ」と笑いながら、親は世間話にもどった。



私は、がっくりきてしまった。

ネコが嫌いな人もいる。
アレルギーがある人もいる。
野良猫は汚いし、糞をするから最悪だ、死ねばいい、と聞いてきた人もいるだろう。

それは分かるが、やはり小さな子どもがそんな言葉を使っているのを見ると悲しくなる。


人は、与えられた言葉でできている。

保育園児の彼が「死ね」と言うのなら、その言葉は必ず誰かによって与えられたものだ。

そして、そう言うことは親によって容認されている。
心底残念で仕方なかった。

しかもそれを、私の娘も見ている。
いつも可愛がっている猫が罵声を浴びているのだ。
意味は分からないかもしれないが。



けれど、その言葉を容認する知り合いも、知り合いにしか分からな人生を生きてきたのだ。


「この子はうちに居候している子なんです」
私は彼女がいじめられないように、避妊をしていて、トイレは家の庭に置いてあることを子ども達にも聞こえるように知り合いに伝えた。

「そういう方法もあるのね。でもそのお金はどうするの?だって……」
そうして知り合いはまた、世間話にもどった。


嵐が過ぎ去った後、ミケに「災難だったな」と声をかけ、公園を二人と一匹で後にした。

私は、動物にも植物にも分け隔てなく愛を与えることができるようにと
、娘の名前に「仁」という字を入れた。

生き物を大切にしてほしい。大切にするべきだ。
という思い込みが私の中にあるからこそ、ミケへの「死ね」の言葉は悲しかったのだろう。

この世界に発した言葉は必ず反響して自分に返ってくる。

どんな思いがあったとしても、私は「死ね」という言葉を、絶対に使わないと誓う。




ネコも大変だよなあ。人間が支配する世界で。
ウンチもろくにできないんだぞ。

本来なら子どもが4匹も生まれて、「めでたいなぁ!わっしょいわっしょい!」って祝うところなのに。
「また生まれたか……」って、鬱陶しく言われる。

それは他の動物に対しても同じだけど。

ゴキブリがたくさん生まれてめでたいか。
蚊がたくさん生まれてめでたいか。
イノシシがたくさん生まれてめでたいか。
病原菌が増殖してめでたいか。

なかなかそうは思えない。
私も普通の人間だから、「めでたい!」とは思わない。

人間に害がある生き物の繁殖はめでたくない。それが普通。

どんな生き物が生まれても「めでたいなぁ!嬉しいなぁ!」って喜ぶものがいるとすれば、それは創造の神くらいだろうか。


いつだって、誰にだって、何にだって「良く生まれた!嬉しいぞ!」って言っていられる存在になれたら、すべての生き物の成長を祝って、幸せに生きられるのだろうか。

そんなことを考えた話でした。


ここまで読んでくださり大感謝!

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