もしかして、人間ってものすごい生き物なんじゃ……
皆さんあけましておめでとうございます!
はい。ニキチャコのトンデモ仮説のお時間です。
現在、Kindleで単著を執筆中。
「僕とあいつの奇妙な教員生活」と「教育者のマインドセット改革」は少し休載期間をいただいております。
冬休み中。
知り合いに潜在意識やパラレルワールドなどについて話をしていたとき、ふととんでもないことに気が付いた気がしたのですが、するっと零れ落ちてしまって残念に思っていたんです。
それを最近思い出したので、執筆の箸休めにここに書いておこうと思います。
どんな仮説かというと。
「人間って、すごい生き物なんじゃないか」です。
「いや当たり前やろ!生きてるだけですごいんやで?」
そういう意味ではなくて……
人間は、未来を改変できる生き物なんじゃないか。
未来の可能性をぐわっと増やすことができる生き物なんじゃないか。
という意味です。
はい。理解不能ですね。
順を追って説明します。
トンデモ仮説「人間は未来の可能性をぐわっと増やすことができる希少な生物」
人間は無意識で動いている⇒未来は決まっている
人の意志はマボロシであることは、残念ながら科学的に証明されています。
その点については以下の記事でまとめていますので、気になる方はどうぞ。
この記事からの抜粋します
心理学的決定論について、要約されている文章を紹介します。
簡単にいうと、「意思決定はまぼろし。私たちは、外からの刺激に対して、勝手に反応して動いているだけ。」と言っているわけです。
私たちは、自分の意志で行動していると思っているが、脳が先に決定し、その処理を見て、「私がやったの!」って勘違いをしている。
その方が記憶力をあげるには効率が良かったから。
脳は、周りの刺激に対して反応しているので、周りの刺激という情報に自動的に動いている。まるで反射で動いているみたい。
全ての情報があれば、未来は確定するのなら、私たちが情報不足、処理能力不足なだけで、起こることは決まっていると考えざるを得ない。
起こることは情報と処理能力さえあれば、予測できる。
それはつまり未来は決まっていると言っても過言ではない。
つまり、ここから先の未来は一本の道のように今この時点で決まっているということ。
うん。決まっている。
パラレルワールド理論⇒未来は決まっていない?
「マルチバース理論」「多世界解釈」によれば、たくさんの並行宇宙があって、その宇宙を選択のたびに飛び回っている。と言われる。
無数にある可能性が流れてきて、その中から、一つを選び飛び乗る。それを繰り返している。
つまり、未来はきまっていない。
あれ? おかしいな。
顕在意識は客観視して無意識に調整を加えられる⇒やっぱり未来は決まっていない?
この体は無意識が動かしているから、その行動は刺激からの反応として、自動的に動いている。
しかし、顕在意識は、無意識に修正を加えることができる。
反応を少しずつ変えることができる。
ってことは、心理学決定論と言っても、未来は変えられるのでは?
あれ? やっぱり未来は決まっていない?
人間の意識は、大いなるものから分離している
私たち人間は、というかこの宇宙の万物は、ビックバンする前は量子真空といわれる超高密度の特異点で、たった一つの何かだった。
今も、私達は大いなる何かの一部。
しかし、分離していると思っている。
受動意識仮説による通り、人間の意識の中の「私」が暴走したのだとしたら、「私」は本来この宇宙にはなかったものではないか?
この大いなる何かに最初にはなかった何かではないのか。
その何かが、無意識を修正することができる……
ピキーン! ひらめいたぞ!!
まとめると
ビリヤードの玉のように、玉の当たり所が決まれば、規則正しく動いていくのが、自然で、人間もその一部。
だからこれから起こることは決まっている。
しかし、この理論は、「私達が1mmも変化しなければ」という条件付きではないだろうか。
途中で球が凹んだり、削れたり、ガムが付いたりすれば、反応は変わるはずだ。
今この瞬間の自分であれば、これから起こることは決まっている。
しかし、「私」という顕在意識が、無意識に修正を加えるとき、無意識の自分は変化して、次に起こる反応は変わる。
変化した後の自分に、この後起こることは決まっている。
「私」という意識がなければ、人は刺激に対して自動的に動く機械のような存在だったと思う。それこそ自然の中の大いなる流れの一部だ。
その場合は、ほぼ未来に起こることは変わらなかったはず。
しかし、「私」の暴走により、無意識という器の外側から修正を加えるということができるようになったということは、今までほぼ分岐しなかった未来の可能性が、多重に分岐していくということにならないだろうか。
今この瞬間の自分が変化しなければ、起こることは決まっている。
変化した後も、また違った未来となっているが、起こることは決まっている。
つまり、メタ認知をして、自分の無意識に修正を加えることができるようになった人間の登場により、文字通り無数の決定した未来の可能性が生まれたことになる。※人間以外の知的生命体にも言える
人間って、宇宙の可能性を広げることのできる種の一つではないのか。
スピリチャル界隈でよく聞く「この時代に生まれたがっている」←なぜ?
まさにスピリチュアルな内容だが、「この時代に生まれたがっている」「いろいろなところから地球で経験をしたいと生まれ変わりを待っている」なんて話を聞いたことがある。
何でだろう。と思っていた。
しかし、先ほどの仮説を考えると、人として生まれるということは、自在に未来を改変する力をもってこの宇宙にアクセスすることができる。その権利をもっているということにならないか。
自分たちで未来を素晴らしいものに変えていくことができるかもしれない。
そんな可能性を私達は持っているのではないか。
それってすごいことじゃない?
人間ってすごい生き物なんじゃない!?
まとめ
「自由意志はない!?人間は環境の奴隷!?うそやろ……」
→「パラレルワールドはあるのか……」
→「未来は決まっている?決まっていない?どっちなんだい!」
→「顕在意識は暴走したもの。分離している。ってことは、宇宙に生まれた副産物?」
→「副産物によって、大元の世界線が書き換わる!?」
→「人間だけが世界の可能性を無限に増やしていくことができる!?」
→「え? 人間すごくね? 宇宙の知的生命体もか……」
→「だから人間として生まれたいのか……」ホンマ?
ここ数年ずっと考えていた、決定論と、マルチバース理論の矛盾が自分なりに整理されました。
「人間は未来の可能性を増やすことのできる非常に面白い生き物である」
この仮説、有識者の方、どうでしょうか!?笑
バシャールさんに聞いたら、答えてくれるかな。
年明けに意味の分からない話を最後まで読んでくださりありがとうございました!
今年もよろしくお願いいたします(^^)