夢から考える「病は気から」の正体
夢を、見ていた。
懐かしい水泳のコーチに、先輩がいた。
屋外のプールに集まって、練習をしようとしている。
マスターズの大会に出るつもりなのだろう。
一番端のコースに入水する。
先輩も一緒のコースだ。
私としては、本当に久しぶりの泳ぎだ。
それなのに、今日はいきなりスプリント練習(ダッシュ)をする様子である。
まだアップもしていないのに。できるかな。大丈夫かな。体動くのかな。
「うまく練習できるかな」
練習をこなすことに必死だった選手時代の記憶がよみがえる。
肩まで水に浸かり、足先をつかんで、膝裏を伸ばす。
水の中でひらひらと手を振って、感触を確かめる。
先輩が先にスタートする。
あれよあれよという間に声がかかる。
「5秒前ー、3秒ー、ピッ!」
私は良きを吸って勢いよく水に潜った。
久々すぎて思うようにバサロキックが水をとらえない。
距離は100mらしい。
スピードをあげようとするとドッタンバッタン不格好な背泳ぎになる。
こんなもたついた泳ぎでも、どうにか泳ぎ切った。
身体は、この一回きりでエネルギーを使い果たしたのか、持久力が皆無になってしまったのか、乳酸でパンパンになっている。もはや固くなっている。
数回手をグーとパーを繰り返してみるが、しびれてまともに動かない。
先輩と二人で使っていたコースだったのに、いつの間にか、10人以上が集まり、ターンの練習が始まった。しびれはまだ収まらない。
一応揉んだり、叩いたり、水の中で振ったりしてみるが、一向に回復する気配がない。
衰えってヤバいな。
ロングの練習(長い距離をゆっくり泳ぐ)から始めないとだめだな。
……
目を覚ますと、私はベッドにいた。
うつ伏せで枕に抱き着くように寝ていたせいか、枕と私の下敷きになった両腕がしびれていて、感覚があまりない。
仰向けに転がり、しばらく待っていると、血が毛細血管を駆けていくのがわかった。
両腕の感覚が少しずつ戻ってくる。
今までにも現実の世界の体の状態が、夢に影響を及ぼすことはよくあった。
いわゆる、「夢の中でトイレに走っておしっこしたら、おもらししてた」的なやつだ。
これは例えであって、私がよくおもらしてたわけではないので勘違いはやめていただきたい。(一度はしたことがある)
しかし、今回はひらめきがあった。
「胡蝶の夢」という話がある。
夢の中で私は、体の痺れを現実として疑わなかった。
エネルギー切れを起こして、乳酸でパンパンになって動かないのだと本当に思っていた。
しかし、夢から覚めたらどうだ。
手は枕の下敷きでしびれていた。夢は、現実の影響を受けていた。
夢と現実はリンクしていた。
けれども、夢の中では腕が下敷きになっていたせいでしびれているという認識は全くない。
ここで一つひらめいた。
「もし、今あるこの現実で起こっている何らかの原因不明の不調があるとしたら、それはより高次の存在の影響を受けているのではないか」
胡蝶の夢の応用である。
現実と思っているものが夢かもしれない。
だとしたら、今私たちは、この瞬間に夢を現実だと勘違いしている可能性がある。そしてその夢に影響を与えている別の現実があってもおかしくはない。
夢には、現実の影響が出ている。
現実にも、それより上の存在の影響が出ている。という構造があるのではないか。
夢で起きていることが現実の影響を受けているなんて到底わからないように、現実で起きていることにより高次の影響が出ていても、それが原因とは分からない。
そして、その「より高次の存在」というのは、「気」ではないかと思うのである。
「気が滅入る」「元気になる」「気が付く」「気に入る」「気の流れを読む」など、「気」という言葉はよく使われている。
気とは何か、調べてみると、
「心の動き・状態・働きを総合して捉えたもの。精神」
「見えないとしても身のまわりに漂うと感ぜられるもの。」だそうだ。
つまり身体は、身の回りに充満する「気」の影響をかなり受けているのではないかという話だ。
以前書いた記事で話した「全ての情報は場にあり、脳はそれを受け取る高性能なアンテナ」という仮説と合致する部分もある。
ここでいう気とは、この「場そのもの」となる。
普通に考えれば、そんな眉唾な……と失笑されるだろう。
目に見えない気の乱れが、原因不明な体の不調の原因だというのだから、そりゃ笑われても仕方ない。
たとえ笑われたとしても、私は自信満々に話すだろう。
なぜなら体験したことがあるからだ。
気を整えることで原因不明の体調が良くなる、ということを。
2分でなくなった原因不明の首のツッパリ
みなさんはトランステックという言葉をご存じだろうか。
古くから伝わっている一部の達人しか扱えなかった領域の技術を、現代の科学技術でもって誰にでも扱えるように一般化する。ということらしい。
その一つ、音と光で治療をする『オトトロン』という機械があることを知り、昨年の11月、わざわざ岡山から東京まで出向いて体験してきたのだ。
音と光の波動によって、人体のチャクラの位置を調整し、元の位置に戻すことによって、人体の機能をもとの状態に戻す。
実際に参加者同士で施術を体験した。
施術といっても、身体にオトトロンから発せられる音と光を当てるだけである。
ただそれだけである。
1,2分体にオトトロンを近づけ、体から10cmくらい離してゆっくりとなでるように動かしていく。
そうやって、オトトロンという手の平サイズの小さな機械から発する聞こえるのか聞こえないのかわからない音波と光をゆっくり当てるだけ。
ただ、それだけである。
もちろん痛みはない。音を聞いているだけだ。
するとどうだろうか、たった2分程度の施術で、首が軽い。
1か月ほど前から原因不明の胸鎖乳突筋のつっぱりがあった。
それがすっかり消えてしまった。
いくらストレッチしても治らなかったのに。
「え? おかしいな…… 首のツッパリが、なくなったんですけど……?」
「いや、明らかにサクラでしょ」と言われんばかりの驚きの声をあげてしまった。
それ以降、胸鎖乳突筋のツッパリはない。
そんなこんなで、私はオトトロンを信じている。
同時に「気」というものが存在し、体に影響を与えていることを信じている。
「気」を整えることで、体が整う。
現実が、夢に影響を与える。
私たちが現実と思っている今ここさえも夢かもしれない。
だとしたら、私たちにとっての現実という名の夢に影響を与えているものがあるのではないか。そこには私たちには見えない何かがあるのではないか。
それこそが、場や体に充満する「気」ではないのか。
気に問題があるからこそ、私たちの現実に原因不明の体の不調として現れているのではないのか。
夢の中では、現実の影響を受けていることなど分からないから、原因不明なのではないか……
夢から覚めた早朝、ホットなうちに残しておこうと書き留めました。
「わかるわかる!」「なるほど!」など感想等あればぜひコメントしていただけたら嬉しいです♪
ここまで読んでいただきありがとうございました!