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父の玉子酒

今のようによく効く風邪薬が無かった時代。
熱があると氷枕に雑炊。何度も母がぬるくなった枕を代えてくれました。
喉が痛い時は白ネギを首に巻くといった原始的な治療法は祖母のおまじないのような療法。
ネギは日頃から苦手なのに首に巻き付けられるのですが、詰まった鼻も
否が応でもすっきりします。

家族のみんなが民間治療を知っていて一人が風邪を引くと部屋を暖かくしたり梅干しのおかゆを炊いてくれたり、優しくしてもらえるのでたまには病気になるのもいいなあと思ったものでした。

父はこの時とばかり玉子酒を作ってくれました。
日本酒で作るのですから子供にはと思われますが、当時は平気で

アツアツの日本酒にお砂糖をたっぷり。最後に溶き卵。その割合が大切らしく、割りばしでゆっくり卵の入ったそれをかき混ぜます。湯気の立ったところにお酒の香りがむんむんしてそれだけで酔ってしまうような…。

私にはたぶんお湯をだいぶと言うかほとんど足していたのでしょう。母も何も言わなかったところを思うときっとそうなんでしょう。

父は自分が飲みたいのもあってきっと率先して作ってくれたような気がします。

不思議なことに翌朝にはすっかり熱も下がって風邪などひいていたのかと思うくらい元気になりました。

私が熱を出してうなっているときもなんだか楽しそうに火鉢で作っていた父の後姿。

我が家はあんまり物事を深刻に考える方ではなく、熱は知恵熱。たまには出した方がいいとさえ言ってました。

そんな家庭で育ったからかあまりお医者さんに行くことがありませんでした。
私も子どもたちにはあったかくして汗をかけば治る!と少々乱暴ですがそれで乗り切ってきました。

お陰でみんなあまり病気もせずに子供時代を過ごしました。

ところが主人はそれはそれは大切に育てられた子供でした。
義母は船のつく舞鶴まで迎えに行ったとか。戦地に行く前に生まれた姉は6歳。感激の再会だったと思います。
平和になって授かった男の子です。
義母もそんなに体が強いほうではなかったそうでその子供たちには薄着などさせたことが無く大人になってもよく風邪を引いていました。

孫たちがはだしで冬を過ごしたなんて知ったらきっと義母は慌てて靴下をはかせたでしょう。残念ながら孫の顔を見ることはできなかった義母ですが、彼女がいたら子供たちの生活もずいぶん違ったように思います。もう少し落ち着いた子供たちになっていたかもしれません。

いろんな家族の暮らし方、子育てがあってみんな家族の愛情たっぷりに育てられたのです。
昭和の時代。子供は宝物でした。今ももちろんそうですが、当時は一人で食事することは皆無でした。誰かがいつも家にいて、寂しい思いをしたこともありませんでした。

子どもの悲しい事件を聞くたびに残念で仕方がありません。
虐待なんていつから始まったのでしょう。

物のない時代でしたが確かに私たちは豊かな気持ちで過ごせたと思います。

玉子酒。今夜は寒くなりそうです。風邪もひいていないのに棚の日本酒で作ってみます。ガサツな私に「もっとゆっくり混ぜないと!」と言っていそうな父の顔が思い浮かびました。

今朝はなんとなく目覚めがいいような気がします。
今日もいい日にしましょう!






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