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ジェトコースター人生 その51-1
小さい時は大家族の中で育ちました。と言っても子供は私ひとりですので大人の話を傍で聞いているおませな子供でした。
周りも子供扱いせず、特に祖父はどこにでも連れて行きました。前回書きました三宮のバナナ専門店もそうです。
センター街の当時人気だった喫茶店「G線」は叔母のデートのお供で。モダンな店内はいつも満員でパフェを目当てについて行きました。
母とはドンクのパンを買いに。ついでにチョコレートで作った動物のお菓子は選ぶのにいつまでも迷っていたので、母はイライラしていました。
大きな秋田犬のフジは太い縄のリードで散歩しますがついに持たせてもらえないまま遠方にもらわれていきました。
小学4年生の時、伯父が連れて行ってくれた伊丹空港で初めて自分の意思が固まりました。さっそうとタラップから降りてきた女性に心を奪われて「私もあの人のようになりたい!」と強く思いました。
デッキで伯父が「あの人はスチュワーデス。いろんな外国に仕事で行ける、いい仕事!」
「外国?アメリカも、フランスも?なりたいなりたい!」連呼する私に「頑張って勉強したらなれるよ」初めて勉強を真面目にしようと思いました。
それまでは熱中するものもなく雑誌などで外国の写真を見ることが好きでした。いつかは世界中を旅したいと思っていたのでこれしかない!考えるだけで心が躍りました。
あの写真のルーブル美術館の美しい彫刻や絵画を見ることができたらどんなに素晴らしいことか。
またエジプトのピラミッドやミイラも幼い私に古代の偉大さや、壮大な世界を想像させてくれました。
しかし両親や祖父母は飛行機を信用していませんでした。
「あんな重いものが飛ぶわけがない。墜落して死んでしまったらどうするの」
とそれはそれは大げさな心配をして、ましてや東京に住むということに大反対でした。「そんな心配しないでも合格するわけがない」とも思っていたようです。
反対されると余計に燃える性格を両親は見逃していました。
ある時父と散歩の途中で「将来はどうなってほしい?」と聞いたことがあります。なんと父は「早く嫁にいってほしい」と答えました。つまらない答えです。
「ふ~ん」生半可な返事をしたように思います。
第一次試験は書類選考でした。第二次は筆記テスト。100問の常識問題と、あとは作文もあったと思います。
三次テストは面接。ここで「あーだめかもしれない」と自信喪失。面接を待つ全員が落ち着いていて賢そうです。
同じ日にネイティブの先生と英語で面接。度胸だけはあったので何とかクリアーしました。
最終選考は健康診断と運動能力の審査は大阪のロイヤルホテルの一室でありました。それをアシストするのは現役のスチュワーデスです。「やっぱりいいなあ。」憧れの制服姿です。
合格通知は電報でした。時代がばれます。何を思ったのか母は待ちきれず郵便局に電話して、私宛のがないか尋ねました。「サクラサク!」合格なら送られてきます。その夜はみんなでお祝いしてもらいました。
数か月後、いよいよ東京での半年間の訓練生活に出発です。