親子っていいもんだ
私は結婚して8年目にやっと子宝に恵まれました。
自分が流産しやすい体質だったのかは今は闇の中ですが、
当初はすぐにできるものと思っていましたので焦りました。
その当時は専業主婦だったので、昼間はいろんな専門書を読んだり書店でそのたぐいの本を買ったりと、今から思うともう少し力を抜いてどっしり構えていてもよかったのにと思います。
4度の流産はこれでもかと言うくらいやり場のない落胆がありました。
「これからは二人でいろんなところに旅行して楽しもう!」と言ってくれたのは主人でした。
後ろ髪を引かれるではありませんが、あきらめかけたことが反対に良かったのか、男の子を授かりました。二年後には女の子。
今まで悶々としていたことが嘘のようでした。
子供は来るべくしてやってきたのだと思えて、私が母親になるのを許された気もしました。
すでに義母は他界して、義父と主人の三人家族に新しくやってきた赤子は、静かですやすや良く寝る子でした。
当時はまだまだ男の子を生むことが嫁のつとめみたいなところもあり、義父の喜びは出産当日一番に病室に来てくれるほどでした。一番乗りだと思っていた母はゆっくりお昼ごろ私の大好きな豆大福を持ってきてくれました。
30歳手前の新米の母親に手をかけないようにしてくれているのか育てやすく二人目の女の子も物静かですんなりと生活に溶け込んでくれました。
憑き物が落ちるかのように私も健康になり徐々に逞しい母親になりました。
心も成長出来た気がしたのは子供のおかげです。
毎週日曜日には自然に触れる、遊園地に行く。それは子供たち以上に私たちの楽しみでした。飛ぶように走る小さな後姿を追って親も童心に帰ります。
残念ながら長男はたくさんの写真に納まっているのに娘は…。
そこに柴犬のアルも加わり毎日が賑やかでこんなに楽しくていいのだろうかと思ったほどでした。
何の不安もなく子供が巣立っても平穏な老後を想像しました。
小学生から子供の生活は一変しました。
見かけは明るくしていますが、父のいない日曜日二人をファミリーランドに誘いました。
いつものように二人で乗り物から手を振る二人と父親と楽しそうに話しながら歩くほかの家族。もうあの光景を見ることが出来ないと思うと、私が頑張らなくては、できるだけ父親がしたであろうことを私なりにやってみようと強く思いました。
葬儀後、試合前のように三人で手を重ねて「頑張ろう!」と誓ったことはきっと忘れているでしょう。
あれから30年、子供がいたから頑張れた。そのためにやってきた二人かもしれません。