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小学校で、何を学ぶのか

私は、小学校の先生でありながら、自分が小学生の時に何を学んだかをほとんど覚えていない。

ということは、多くの方も小学校で何を学んだかをそこまで気にしていなということではないだろうか。

私は、小学校3年生の時の担任の先生が個性が強い方だったので、その時に学んだことは、今でも覚えている。
・電子と分子について
・マザーグースの歌
・よく飛ぶ紙飛行機の作り方
を、年間を通して学んだ。

小学校に上記を学ぶ単元はない。どのような理由で、このような授業していたのか、今となっては正直 気になるところである。3年生で学ぶべきカリキュラムは、ほとんど学んでいない。

私の両親は、そのような授業がされていることを知っていたが、そこまで気にしていなかったように思える。

しかし、私の両親は教育に無関心だったかというと、そうではない。幼少期から、多くのことを体験する経験を与えてくれた。私の両親の感性は少し独特で、変わった体験もたくさんしてきた。

例えば、スキーを体験したときのこと
私は、小学1年生くらいだっただろうか。おもちゃのスキー板をつけて、父の股の間に挟まれながら、滑っていた。滑るのに慣れてきたら「自分で滑ってごらん」と、父の股から解き放たれた。しかし、私はスキーの止まり方を知らなかった。直滑降でスピードが出て、テンションが上がったのを覚えている。その後は、見ず知らずのお姉さんにそのスピードのままぶつかって、停止しました。これは、事故ですね。(当時、ぶつかってしまったお姉さん、本当にすみません)

私は、この経験から「スキーが大好き」になりました。私は両親の感性を受け継ぎ、少し変わった感性を持っているのです。

話はずれてしまいましたが、両親は「感性の豊かさが、人生を豊かにする」と、両親が休みの時は、どこかに出かけたり、何を作ったり、運動をしたりと多くの体験する経験を与えてくれた。このことは、本当に感謝している。

また、両親は「何に対しても興味をもつこと」を徹底的に教育してくれた。幼少期は、その意味が全く分からなかった。今は、その教えのおかげで、何事にも興味を持つことができ、物事に対しての良い部分を吸収していこうとする探究心が高まりました。また、ビジネスの場においても興味を持つということはとても重要ですよね。目の前の仕事をするだけでは、本当の意味での成長はできない。常に疑問を持ち「どういう意味なのか、何故そうなるのか」を深く掘り下げて考えることが大切。

私は学ぶ内容そのものが重要ではなく、そこから得るものが重要だと考えています。現在の義務教育が規定した学習内容だけに縛られることへの不安を感じています。

そして、学びの内容は袋そのものであり、その中身が本当に価値のあるものであるかは、その時の状況や状態によるのです。

ニカイドウ

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