
ニュートラルって難しい?いえ、クセが強いだけ。
窓を開けた瞬間、太陽の日差しを感じる。
空を見上げたら、風に乗って鳥が旋回している。
蝶々がふわふわと飛んできた。
風になびいて、さわさわと音を立てる草木。そんな日常に溢れている光景。それに触れた瞬間、ほっとする時ってありませんか?
そんな時、わたしは「これで充分だね」って、ふっと元気になります。
でも、昔の私は違っていました。
そんな風に日常の中にある「ほっとする瞬間」をそのまま味わうのではなく、そこに「何か特別な意味」を探していたと思います。
「これは特別なメッセージだ」とか「何かを伝えてくれているんだ」と捉えていました。それはそれで楽しんでいましたが、今と昔では感覚が変わったなと思います。その違いを振り返ると、昔の私は「何かを見つけよう」として、自分の中で勝手に意味を探し、考えすぎていたと思います。
例えば、ゾロ目を見た時。「これって何を伝えようとしているんだろう?」と、タイミングや自分の状況に当てはめて、そこに特別な意味をこじつけていたと思います。それも面白い経験ですが、今思うのは、実際に大切なのは「その瞬間、自分がどう感じたか」ということです。
「どんな時でもニュートラルでいましょう」これ、スピリチュアルな世界ではよく聞く言葉かもしれません。でも、ニュートラルでいようと力が入りすぎてしまうことってありませんか?
例えば、レストランでオムライスを注文したとします。
注文したら、オムライスがテーブルに運ばれてくるのを待っていますよね。
「ちゃんとオーダーが通ったかな、オムライスを食べられるかな…。」
なんて考えないですよね。それはニュートラルで当たりの感じです。
でも、ニュートラルでいようとすると、当たり前のことをややこしく考えてしまう癖が出てきてしまう。と言う感じです。
サインを受け取ることにしても、ニュートラルでいようとすることにしても、それを当たり前じゃなくしちゃってた、余計に力を入れていたと思うんです。で、「それ、クセです。ただの癖。だからいらないです。」
もし、今これを読んで、なんか思い当たるな。という方がいたら、ちょっと試しに「ただの癖か」と軽く思ってみてください。
歩く時を思い浮かべてみてください。
「あそこまで歩くぞ、よし次の一歩」なんて構えながら歩いてませんよね。そんな風に、力まなくてもいいことにエネルギーを注ぎすぎて、自分を疲れさせてしまう。これが、「ニュートラルでいよう」と頑張りすぎた時の状態だったと思います。私のことです😀
でも、これって裏を返せば、個性が爆発している証拠かもしれないです。
自分のクセに気づいて「クセが強いな」と笑い飛ばせる瞬間が、自分らしさを楽しむポイントかなと思います。そうやってクセを少しずつ手放していくのも、自分を知る楽しいプロセスだと思います。
どこにエネルギーを注いでいるか、どんな状態か、自分のモードを感じてみてください。どんな状態か気づいて、抵抗せずに受け止める。
そして、どうしたいかな?って思いつくままにやってみたらいいです。
やらないも選択です。「考えすぎはただの癖」。これをキーワードにしてみると、思っていたよりも「クセが強い」自分に驚くかもしれません。
その驚きが、自分らしさへのシフトポイントになると思います。
「クセが強い〜〜」と笑いながら、少しずつシフトしちゃうくらいがちょうどいいんじゃないかな?って思います。
こんな風に気づいたことをあれこれ考えて、ここに書いているのも、
ある意味、私の癖が強い部分なんだと思います。
でも、その癖を通してこうして言葉にしていくのが、私なりの楽しみ方で
自分らしさなのかもしれないなって思います。