ピカソvs子どもの絵
画家のピカソは「子供のような絵」を描くことを目指したと言われています。そして晩年に「ようやく子どものような絵が描けるようになった」と語っていたそうです。
僕は以前にスペインのピカソ美術館を訪れ、彼の晩年の自画像を見たことがあります。
その絵は自由奔放な線と色使いで構成され、確かに子供が描いたような絵でした。でもぱっと見の好き嫌いで言うと、僕は普通の子どもの絵の方がワイルドで魅力的だなあ、と感じました。ピカソの絵は一度習得した高度な描写技術をあえて捨ててたどり着いたスタイルですが、子どもには技術はなく、心の赴くままに描くので制御されないむき出しの感性がドーンと絵に表現されていると思います。
ピカソはまた「子どもは誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかである。」とも言っています。上に挙げた絵は僕がやっている子どもの絵をアニメ化するイベントで描かれたもので、とても印象的だった絵です。こういった魅力的な絵を描いた子どもも成長するにつれて技術を習得し、やがては上手な絵を描くようになってしまうと思いますが、それは仕方のない事です。僕は大人達の描く「普通で上手な絵」を知っているから子どもの絵が魅力的に見えるわけで、子どもの側からすると上手に描けるようになれば嬉しいし満足感もあります。僕自身もそうでした。
イラストに「ヘタウマ」と言われる表現があります。僕の知っている美術大学の先生が、そういう絵は本当は上手に描ける人があえて下手っぽく描いているのだと言うのを聞いて、なるほどそうだったんだ〜と感心したのを覚えています。ピカソと似ていますね。その一方で、本当にあまり上手ではない人が描いている「ヘタ」の魅力もあると思います。
僕自身は自称「ヘタウマ」なイラストを描いたりもしますが、一般的なプロのイラストレーターと比べると描写技術はかなり低いと思います。僕は美術大学を卒業してますが絵の技術が必要なくても入れる学科だったし、これまでにデッサンの勉強は高校の美術クラスで少しやった程度だからです。(普通の人に比べたらだいぶ上手に描けるとは思いますが)
フリーランスで仕事をするようになってから自分に高度な絵の技術がないことをコンプレックスに思い、やはりプロとしてはきちんと基礎から勉強し直す必要があるのではと何度も思った事がありますが、ピカソの話や子どもの絵に接するようになった影響もあり、このまま高度な技術は身につけないで子どものような感性だけを大事に描いていこう!と開き直っています。これが正しい選択がどうか分かりませんが、そのほうが魅力的なものが作れるだろうと信じています。それに技術って身につけると、どうしてもそれをひけらかしたくなるんです。。
技術にとらわれない純粋な感性を大事に残し続けるって簡単そうで結構難しい事ですね。
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