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絵本を作った後、4人のグループ展へ〜そして兄2人の不登校〜

絵本を自費で制作し、10冊だけ作り終えました。1冊5,000円なのでそんなにたくさん作ることはできません。母やお世話になった方には送り、友人には半額で販売もしました。定価でも買ってくれた人が何人かいました、本当にありがたいことです。

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卒業した後、お友達が主催する展示会に誘っていただき4人でのグループ展を開催しました。そこでは曼荼羅アートの原画を販売したり、絵本の原画を展示したり絵本の販売もさせてもらいました。

この頃からグループ展に参加することが増えていきます。講座はリクエスト開催で月に1〜2回程度。展示会中のワークショップやイベントで体験会をすることも増えました。

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活動は広がっていました。
その時長男中学2年生、次男小学5年生、三男幼稚園の年少さん。
子供たちもそれぞれの場所で頑張っていました。でも、まだまだ手がかかる年頃です、そのことを私は少し忘れてしまっていました。

特に上の2人はもう大丈夫だと思ってしまっていました。幼稚園の時から行き渋りがあった次男も、3年生頃からは学校が楽しそうで安心していました。長男は特に行き渋りもなく中学からは吹奏楽部に入りハードなスケジュールもこなしていました。何も心配していなかったのです。

そんな思いが壊されたのは、ちょうど夏休みが終わってからでした。急に次男が学校へ行けなくなってしまいました。5年生の1学期にいじめに遭っているということも聞いていて、先生と話し合いもして、それは解決していると思っていました。が、次男の中ではもう心が壊れてしまっていたのかもしれません。

何もかも無気力になってしまった次男は、ゲーム漬けの毎日で昼夜逆転にもなりました。先生は熱心に毎日電話をかけたり、クラスのみんなに手紙を書いて届けたりしていましたが、それも本人にはプレッシャーになっているようでした。

後から聞いた話では、その頃通っていた近所の塾で、一緒のクラスの友達が殴る蹴るの暴力をふるってきたそうです。本当に辛かったと思う。助けてあげられなくて、お母さん何も知らなくて本当にごめんね。

きっと何かサインはあったはずなのに、日々の忙しさに流されて私は何もしてこなかった、気づいてやれなかった。

そして追い討ちをかけるかのように、その頃中学2年生だった長男が体調不良。学校へ行っても具合が悪くなって帰ってきたり、朝起きられずに休むことも増えてきました。

小児科で診てもらった結果、起立性低血圧だという診断。朝起きられないのはそのせいで、決して怠けているわけではない。起きてしばらくすると血圧が下がるので、本人は体がとてもだるくて辛いだろうということでした。

そういう病気があることはなんとなく知っていたけれど、まさか我が子がなるとは思いもしていませんでした。血圧を上げる薬をもらって飲んでいましたが、あまり効果はなく、結局中2の3学期から1年間ほぼ学校へ行けなくなりました。

長男にもサインはあったのです。中2になった頃に全身蕁麻疹が出た時がありました。部活も忙しいし、勉強も難しくなってきていたし、人間関係も複雑になる年頃です。今ならそう分かるのですが、当時の私には気づいてあげられませんでした。

私の子供たちは溜め込みやすい性格で、あまり吐き出すのがうまくありません。それは私も同じでした。さらに繊細さや過敏さも持ち合わせています。2人が不登校になってから、子供と向き合う時間が増えると共に、私自身と向き合う時間が増えていくことになります…その話はまた次回に。



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