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愛すべき人たちの原風景を旅する

郷土とは何か?


さいき・あまべ食べる通信の発行人・編集長である平川摂さんのアテンドで大分県は佐伯(さいき)市の南方に位置する「あまべ」の原風景をまるっと一日かけて旅させていただいた。まず平川さんのご人徳に甘えさせていただけなければこんなに素晴らしい体験はできなかった。平川さんに敬意と感謝を申し上げます。素晴らしい時間になる予感はもちろんしていたのだけれど、自分は大分の郷土料理を勉強したい、くらいの気持ちで訪れたのだった。お土産には、さいきのみなさまから両手で抱えきれない花束をいただいた心地になった。

さいき・あまべ食べる通信 発行人/編集長 
平川 摂 さん

佐伯出身。地元を知らず都市部へ出て、戻ってきて、何も地元を知らなかったことを知った。
と語ってくださった。隣人を知ろうとし、一緒に笑い、泣いて、愛し愛されている平川さんの人生模様に胸を打たれる。

誰もがどこかで「ふるさと」的なものを求めて日々を生きているように感じてきたので、最初にそのお土産について書いてしまう。

郷土とは、万人が帰っていくふるさとのように、はじめからそこにあるものでなく、自分が自ずから愛そうとした超個人的な、その風景であり、人であり、物であり、事である。まるで時間をかけて創られていく一つの歪なかたちの臓器のように、それを愛した自分自身の一部として内側に創られた聖域である。そしてそれの集まりが広義の郷土、国をつくっていく。」

押し付けるのも押し付けられるのも嫌いだが、僕が今回の旅で気づき、これを読んでくださる方、読む予定の方々にとって、心の奥底にどうか、敢えて強引にでも刻みつけたいとやまない大切な何かである。人々がお金教の呪いや時流に迎合して失ってはならないものである。まだ間に合うという感覚と、胸の中にこれだけは伝えなくてはならないという火照りが残る中、書いている。自然を守ろう、ではないのだ。 SDGsがどうなんてファッションをやってる場合ではないのだ。私たち自身が自然なのだ。

僕も僕の中の今回の佐伯での経験を郷土にしたいという想いから、超個人的な感覚で綴ろうと思う。

平川さんのご友人、波戸崎さんの作ったニラ。採れたてを薦められて、齧る。甘い。辛い。力強い。ニラは本来、野菜でなく、ハーブなんだと気付かされる。「薬味」という言葉が肉体を持つ。命に接続されるためのタイムリミットは流通に乗るまで待ってくれない。

大事な前提として、僕は大分県を訪れる前から、東京の亀戸・錦糸町といった東の都市部、下町に育ち、どうしてもその地を愛せることなく育った、いわゆる「郷土難民」であったことを告白しておく。何が嫌だったか、何か下品なのである。文化として何かを美しく育むような土壌を感じなかった。その上、下町情緒なんてものとは程遠く12階建てのコンクリートの塊がこれまた12棟ある、その中の一室で育ち、そんな蜂の巣のようなビルの屋上から学校をさぼって、同級生たちが体育の授業を受けているのを陰鬱な気持ちで眺めてスピッツを聴いているような根暗な少年だったのである。「梅干し食べたい僕は今すぐ君に会いたい」なんて歌っていたのである。今思えば同年代の大半より遥かに多感であっただろう自分には、人生の前半において周波数が合うような何かが見つからず、どうにもこうにも世界に居場所がなかったのである。敢えて「分断の痛み」を知る、というところから僕は人生を始める必要があったのだと理解している。そうそう、言い訳がましくなってしまうが、今となれば、亀戸、錦糸町にだってそこにしかない味があるとは思う。試してはいないけれども。

つまり、もうかれこれ20年以上「郷土」とは何か?「HOME」とは何なのか?という問いが人間関係の遠近感においても居場所においても、自分の中では聴こえるか聴こえないかくらいのところで常に流れている不穏な、鈍いベース音のようでいて、時には暴力的に内臓をぶっ叩かれることもあって、琴線に触れた。


<(株)漁村女性グループ「めばる」 桑原政子さん>    佐伯の漁師家庭に受け継がれる郷土料理「ごまだし」

僕が最初にご案内していただいたのは佐伯市鶴見沖松浦にある(株)漁村女性グループ「めばる」さん。僕は、食べることはすでにその土地を感じることから始まると思っている。この日は猛暑で、潮の匂い、風が体を押してくる圧、日差しの照りつけ、港に残る船や道具たちから、暮らす人々の息吹を感じる。食べていない時間と食べている時間は地続きなのである。そのコントラストが美味しい料理のスパイスとなる。郷土料理の場合、感じる時間も要素も新鮮で、ワクワクする。東京でどこかの郷土料理を食べてもどこか美味しくないのは、現地の食材を使っていないのでは?とか、そういうことだけではない。食べるというのはもっと全体的な行為なのだ。

佐伯市鶴見大字沖松浦の港の風景
アジ、チヌ、アオリイカ、クロ、メバル、キス、ヒラメなどが揚がる。
(株)漁村女性グループ「めばる」さんの加工場があるところ。
加工場のお母様たち。港で採れたての魚を焼き、その身を骨から剥がす。
道具や場所が現代化しても、その奥にあるものは変わらないのだろう。
剥がされていった後の皮や骨がある種の美しさを持つこともあるのだ。
現代アートだと主張しながら食の写真展とかに飾りたい。

猛暑であった。とにかく暑かった。にも関わらず、本当に盛大なお迎えをいただいた。まるでTVの収録に対する準備の周到さでそのホスピタリティに感動した。ただただ、感謝しかない。到着するなり創業者である桑原政子さんがすでに色々とご用意してくださっていて、「ごまだし」の作り方を手ほどきしてくださった。早速焼かれた「えそ」という魚の身を、細かい骨に注意しながら僕もほぐす。自分らも手を動かす、一緒に作る。こういう時間が食卓を囲む時間により大きな喜びを繋いでくれる。

顧問/創業者の桑原政子さんご自身が自ら手を動かして作ってくださった「ごまだし」。

政子さんは会社の代表を引退してからも、日々どう郷土の味を残すか、体にいい商品を残すか、常に日常のあらゆるところから学び、実践しようか考えておられるように会話の端々に感じた。「引退して暇なのよー。」なんて冗談を飛ばしつつ、パワフルに周りの方のために動く。頭が下がる想いしかない。

ごまだしを混ぜていくところ。
すりこぎを動かすリズムと、たつ薫り。
すでに食事ははじまっている。

「ごまだし」は魚の身、白胡麻、味噌、醤油、味醂を混ぜて作る「元祖インスタント調味料」という具合。手間ひまかかっているのだからインスタントといったら、怒られてしまうだろうし、全然本質は違うのだけど、、、。工業的でないインスタントというのは飲食店でいう一品を作るための「仕込み」に当たる。そういう、想いのこもった半製品なのだ。麻婆豆腐の素、といったような類とは違う。

いったいこのペーストがどんな料理に変わっていくのか、期待が膨らむ。この地の漁村のお母様方は一体どんな気持ちでごまだしを家族に作っていたのだろう。ところで、これ、手早く美味しい料理を作るための「仕込み」であって、日常生活において実際的、かつ、焼いた身をほぐすのだから、売りに出せない規格外の魚も使えて、エコなのである。「自然」というのを「人間」対「自然」で捉えられていない設計。最近訪れた「土中環境」の高田さんの現場に通ずるものがある。この地の人々は普段自分たちを養ってくれている海への敬意も少なからずあったのであろう。こういうことを感じると、レシピというものがまるで大量生産の家具を組み立てる説明書のような読み方をすることはなんだか寂しく思う。もう何年も思っていることだが、どうにかしてこの豊かさを広く伝えられないものか。料理は文字の羅列では伝えきれないのだ。

そしていよいよ食卓におもてなし料理の数々が並べられ・・・。

ごまだしに卵を混ぜてかけた「ごまだし卵かけごはん」

ごまだしうどんを食す前に、現社長の小谷さんのお手製にて、前菜がごとく戴いた「ごまだし卵かけご飯」。うまい!!まさしく絶品である。料理をやっている人間とは思えないコメントだが、いわゆる「万人ウケする、間違いないやつ。」何杯食べてもいい。ごまだしに使う魚は季節によって、鯛やアジなど、なんでもいい。それがきっと飽きさせない。これを楽しみに明日の朝ごはんを待つ夜、なんてのがあっただろうなと想像する。ちなみに漁師さんたちは仕事の特性上、朝ご飯を夕飯並みに一番がっつり食べる。らしい。

こっちがよく知られる郷土料理「ごまだしうどん」
ごまだしと茹でたうどんと具材を
器にセッティングしておき
食べる直前にお湯をかけて、
立った瞬間のその香りごと食す。

そしてお目当てであった「ごまだしうどん」。ごまだしをセッティングしておき、お湯をかけてごまの薫りが立ったその「瞬間」を食べる。ごまだしにすり潰され、混ぜられた「えそ」の身によって一瞬で出汁が出る。スープに滋味が溶けだす。まず出汁を戴く。美味しい!もちろん美味しいのだが、美味しいさの類が違う。このほっとする感覚は、長い勤務と帰り路のあと、真冬にやっと帰って一杯の味噌汁にありつけたような、そんな優しい美味しさなのである。漁から帰ってきてこれを出してもらえたら、何にも替え難い幸福があっただろうなあと思う。また寒い時期にもいただきたい。

政子さんが「ごまだし」を実際的に伝えるために書いたレシピ。
料理研究家の娘さんとの共著らしいです。
愛あるエピソード。
小谷さんと政子さん、真剣に試作製品に対峙する会話中。左が現代表の小谷晃文さん。初対面の自分にも爽やかに接してくださり、ハツラツと楽しそうに仕事をされる姿、皆さんに対等に謙虚な姿、尊敬します。

漁港側の現地の加工所で働いていらっしゃる皆様と仲間の一員のようにしていただいて囲むおもてなしの食卓。この日はごまだしだけでなく、みなさんの作っている製品のぎょろっけ(魚のすり身のコロッケ)や、野菜のお返しで近所の方から帰ってきた漬物、採れたてのイサキのお刺身なんて、もう食べきれないくらいのおもてなし。笑顔でこれがうまいんだよ!食べてみて!と。そう、郷土という聖域が心のうちにある人が、自慢げに何かを薦めてくださる時の笑顔って、どうしてこんなに胸を打つのだろう。

桑原さん、小谷さん、お母様方、本当にお世話になりました。今度は僕にごまだし料理させてください!

漁村女性グループめばる(ぎょそんじょせいぐるーぷめばる)
大分県佐伯市鶴見大字沖松浦1395-4


<まる寿司「村井」 村井美代子さん> 米水津の郷土寿司 鯵の「まる寿司」

郷土料理を残さねば。文化遺産を残そう。地方を訪れるとよくそんな類のキャッチコピーを眺めることがあるが、これはそうあって欲しい!と肉感がぐっと湧いた体験をさせていただいた。本当の形を残して、文字通りこの人しかもう作っていない。という郷土料理もある。まる寿司「村井」の村井美代子さんが作ってらっしゃる鯵(アジ)のまる寿司だ。まるっと一匹、魚が姿を残しているからこそ、まる寿司だという勝手な理解。

まる寿司「村井」
村井美代子さん、お孫さんのはるちゃん。
この日のためだけにわざわざ用意してくださった。

平川さんが美代ねえ、美代ねえと慕って、美代子さんも平川さんをどことなくからかいながらも愛あるやりとりをしていたのが今でも思い出される。「大変だけどね、平川さんの頼みだからねえ。」なんて。

美代ねえは僕から見て職人だ。本物にこだわる。きちんと本物が伝わらない仕事はしない。この日のためだけに3日も仕込みに時間のかかるこの丸寿司にエネルギーを注いでくださり、帰りも沢山お土産をいただいてしまって。
職人がそれをやってくださる、ということがどういうことなのか僕は同じく料理人として、修行した身として、知っている。

これが鯵のまる寿司。お祝い事のために作られ、食べられてきたご馳走。

市場に出て、適した大きさの小鯵を自らの目で選び、捌いて内臓をとる。塩漬け保存、塩抜きをした後、甘酢漬けにし、炊いたご飯を酢飯にし、小鯵の酢とは少しグラデーションがつくように梅酢で漬けた「ちそ(赤紫蘇)」を綺麗にカットして巻く。出来上がるまで3日かかる。

美代ねえの鯵の丸寿司。
もはや芸術品。

味はもちろん何も言うことがない、絶品。鯵の旨味がマリネすることで余計な水分が出て凝縮されていて、酸味の角がなく、絶妙な甘酸っぱさ。鯵、米、ちそで使うお酢をご自身で調合されて変えていて、その3段階の酸味のグラデーションが繊細に調和している。これはもはやその地の懐石の一品として自分ならば入れるであろう芸術品。冷蔵庫に入れなくても3、4日味が落ちない。好きな人は頭から残さず丸齧りする。

甘酢漬けされた鯵にシャリが挟んである。
すぐ作れるように配慮してくださっていた「仕込み」の一部。
梅酢に漬けてあったちそ(赤紫蘇)を魚を漬けた甘酢で洗い酸味を再調整。
フランス料理に通ずるような細やかな工程。
美しく巻き上げるためのカット
味に服を着せるかのように、ちそを巻く

手仕事でしか味わえない。
修練を積んだ人が作ることでしか味わえない。
作った人を知っているから味わいがわかる。
流通に乗せてしまっては本質が変わる。

効率が悪いなんて目で見る人もいるだろうけど、それを知っていて、ものづくりをしている人たちにしか味わえない豊かさや幸せもある。

多い時は1日で800匹も鯵を捌くこともあるという。
その長年の仕事によって短く、鋭くなっていった美代ねえの包丁。
錆びることがないのも、その形も美代ねえの背中を感じる。

まる寿し村井
電話番号0972-36-7940
大分県 佐伯市 米水津大字色利浦1748

僕は何を食べさせてもらったのか?

ごまだしうどんや鯵のまる寿司という形をした、政子さんや、小谷さん、美代ねえの人生であり、彼ら彼女らが愛でて、それを育んできたご先祖、隣人、その土地の風景や土や海や、はたまたそれを当たり前としつつもどこかで畏敬を感じていた土地の人たちであり、友人(平川さん)の連れてくる人間におもてなしをしようという博愛であり、、、

つまり「郷土」なのである。

美代ねえ様。かっちょええ。

僕は他人行儀に「郷土料理」を食べに行って、
身内のごとく迎え入れてもらい、
「郷土」を食べさせてもらったのである。

そして、その地にいる人は自分の作る料理を身内に郷土料理だなんて言わない。言っているのを聞いたことがない。

むしろ郷土やふるさとなどという他人行儀な「言葉」など、その聖域を胸の内に持つ人は使わない。言ったらそれはもう嘘だ。

僕は今後、佐伯で郷土料理なんて言葉は使わない。

改めて太田さん、平川さん、波戸岬さん、桑原さん、小谷さん、大分でお世話になった皆様に敬意と感謝を。みなさん今日も生きましょう。僕も生きてます。










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