
バリアフリーを望むことは甘え?
転院までのプロセス
私はくも膜下出血の後遺症でほとんど目が見えなくなっていましたが、急性期にいる間に手術で視力を取り戻すことが出来ました。
けれども回復期退院後、視力が低下し物が二重に見える状態となったため、手術を受けた病院に定期的に通院することとなりました。
ところがこの病院、患者数が多く2〜3時間待たされることもざらで、待合室には多くの患者がひしめき合っていました。
検査室にもたくさんの患者が詰め込まれ、視力検査は5人ほどが横並びという状況でした。そのため高次脳機能障害の私は周囲の人が「右・左・上・下」と答える中では集中できず、視力検査をするだけでぐったりしていました。
喧騒の中でいくつもの検査を終えたのち長時間待って診察となりますが、仕切りもないような空間で10人ほどの医師が診察をしているため、私は担当医師の指示を聞き取るのが精一杯でうまく会話することが出来ませんでした。
経過観察ということで一年ほど頑張って通院しましたがあまりにもストレスが大きく、今回思い切って転院することにしました。
転院してみて
アクセスは悪いものの転院先の病院はそこまで混んでおらず、高次脳機能障害があるのでとお願いしたところ受付を始めとするスタッフ皆さんに配慮をして頂けました。
特に懸念していた検査については別室で出来るものは移動するなどの対応をしてもらえほっとしました。
初診ということで待ち時間はかなりありましたが、診察室も個室で静かだったので落ち着いて自分の症状について話すことも検査の結果を聞くことも出来ました。
正直もっと早くに転院すれば良かったと思いました。
私にとって辛い環境だったのだから我慢することはなかったと思いました。
ストレスが大きいならば転院も
春ごろから少しずつ精神的に落ち着いてきたのは、今年に入ってから障害に配慮してもらえる病院に順次転院できたことが関係しているように思います。
脳神経内科に脳外科、総合診療科などの大病院もそうですが、週に2回通っていた肩のリハビリをペインクリニックから自費の施設に変更したことの影響は大きいと思います。
家族や支援者からするとわかりにくい部分かもしれませんが、高次脳機能障害を持ちながらの通院や治療のストレスは決して小さくありません。
経済的な負担を考えると保険のリハビリから自費へと変更するのはかなり迷いましたが、脳の疲労や精神的ストレスを考えると自費に変わって正解だった思っています。
転院といっても病院の少ない地域などでは難しいことかもしれません。実際に私も近場では大きな病院が少ないため、電車やバスを乗り継いで通院しています。
また、転院したからといって障害に対応してくれる病院とは限らないので一概には言えませんが、あまりにも当事者の負担が大きい場合には考えてみても良いかと思います。
病院でのお願いの仕方
高次脳機能障害は他人に理解されにくい障害です。他でわかってもらえなくても医療機関ならわかってもらえるのではと思っていましたが、そんな簡単にはいきませんでした。
受付で「高次脳機能障害があるので」と言っても理解してもらえることはほとんどありません。
それよりも「脳に障害があるので」とし、さらにどう配慮して欲しいのかを具体的に問診票などに記入した方が効果的のような気がします。
また、あまり問診票を細かく見ない医師もいるので、私は診察の際に再度、配慮して頂けるように口頭でお願いをしています。
そうやって手を尽くしても病院の環境やスタッフの問題でどうしても配慮してもらえない場合には、転院するなどの対策を考えてみても良いのではないでしょうか。
身体障害と高次脳機能障害は同じ
私もですが当事者は環境に適応出来ない自分を責め、必要以上に我慢してしまうことがあります。でも障害のために適応できないことは甘えでも我儘でもないと気が付きました。
ある時、高次脳機能障害のことで夫に配慮を求めるのが申し訳なくてギリギリまで我慢していたら娘に
「もしも後遺症で車椅子になっていたら、お父さんにドアを開けてもらったり高いところのものを取ってもらうのは我儘ではないでしょ?高次脳機能障害だって同じことだよ」
と言われました。
それまでの私は高次脳機能障害は人から理解されにくいと感じていたのに、自分自身が左半身の麻痺と高次脳機能障害が同じ障害であるとわかっていなかったのかもしれません。
ですから、もしも当事者の方が通院やリハビリが辛いと思った時には我慢せずにまずご家族に相談してみて下さい。それは決して甘えや我儘ではないと思うのです。
そしてご家族も当事者の辛いという気持ちを一旦受け止めて、何が辛いのか言語化を促してもらえたらと思います。ただ通院やリハビリが嫌だというのではなく、もしかすると施設の環境が辛いなど別の理由があるのかもしれません。
脳疲労について
また環境が辛いなどではなく、単に脳が疲労して辛いという場合もあると思います。
怠けているわけではなく、脳疾患患者は簡単に脳疲労で動けなくなります。けれども本人が脳疲労だと認識し、身体の疲労なのか脳の疲労なのか区別できるようになるには時間が必要です。
病院と違い外の世界は刺激でいっぱいです。たとえただ家の中にいるだけでもです。
病院では「お昼何食べたい?」と聞かれることはありません。
「この唐揚げ美味しいね」と話しかけられることも「おやつ食べる?」「お茶がいい?コーヒーがいい?」なんて言われることもありません。
家庭内の何気ない日常会話も刺激です。
決められた時間に決められたことをするのではなく、何時にお風呂に入るか、寝るか起きるかを決めることも刺激なのです。
「病院ではリハビリであれだけ動いていたのに、家に帰ったら寝てばかり」というポストたまに見かけますが、体ではなく脳が疲れて起きていられないのです。
私自身が体験したことですが、入院中はハードなリハビリを毎日行っていたのに、退院後は家事をしたくらいですぐに眠ってしまう。そんな不甲斐ない自分が嫌で必死に動いてさらに寝込んでしまう。まさに悪循環でした。
今考えると身体が疲れていたのではなく脳が疲れて動けなかったのです。
でも"脳疲労"なんて言葉も知らず、入院して止まっていた時間を取り戻さなければと無理をして動き回っていました。
私は自分だけの問題でしたが、職場に戻る方はもしかすると自分+周囲からのプレッシャーでもっと無理をされるかもしれません。
だからこそ回復期の退院時には、脳疲労について本人にも家族にもきちんと説明をしてほしいと願っています。
高次脳機能障害の有無に関わらず、身体の疲労ではなく、脳が疲れて動けなくなること、起きていられなくなることを伝えてほしいです。
ありふれた日常生活の一つ一つが脳を損傷した人にとっては刺激であり、疲労してしまうことをしっかり説明して日常に送り出してほしいと思います。
甘えではないということ
「目の見えない白鳥さんとアートを見に行く」のなかで視覚障害者の白鳥さんが幼少時に思ったことについて書かれています。
白鳥さんが生まれたのは一九六九年。両親はふたりとも晴眼者で、親類一円を見回しても視覚障害者はいなかった。そのため、家族には「目が見えない=苦労するに違いない」という漠然としたイメージがあり、特に白鳥さんを「けんちゃん」と呼んで溺愛した祖母は、繰り返しこう諭した。
「けんちゃんは目が見えないんだから、ひとの何倍も努力しないといけないんだよ。助けてもらったらありがとうと言うんだよ」
それを聞いた幼少時代の白鳥さんは、じゃあ目が見えないひとは努力しなくていいの?そんなのずるい!と感じた。
「自分には、目が見えないという状態が普通で、"見える"という状態がわからないから"見えないひとは苦労する"と言われても、その意味がわからなかった」
先天性ではなく中途障害者である私たちは、何でもなく動けていた世界からいきなり苦労しなければ動けない世界へと突き落とされてしまいました。
努力しなければ元のようには動けない。いえ、努力しても元のようには動けない中で、歯痒く情けない思いをしながらそれでも頑張って毎日を送っています。
もしも白鳥さんのようにひっくり返して考えたら"健常者は努力しなくても日常生活を送れるのだからずるい"ということになるのかもしれません。
怠けて健常者の何割しか動いていないわけではなく、努力して何とか健常者の何割かまで動いているのです。
そう考えると労力を少し減らして心も体も疲弊せずに済む方法を取ってもいいのではないでしょうか?
環境を整えるために周りの人に手助けをお願いしてもいいのではないでしょうか?
そう考えて私たち自身が少し自分を解き放してあげてもいいのかもしれないと感じています。
健常者にとってはなんでもない日常生活のなかで、少しでもストレスが少ない生活を選ぶこと、バリアフリーの生活を望むことは、車椅子の方が階段ではなくエレベーターを使うことと同じなのだと当事者も家族もそして世の中の方にも理解してもらえたらと思っています。