歴史を勉強をしていますと実に面白いものですが、特に面白いのは、一つのテーマを時代毎に追っていくことです。
今日は、水をテーマに見ていきます。
【弥生時代】
川の水を取り合って各地で争っていたようです。ムラとムラ、そしてクニとクニが争い合って、水を確保していました。水は、今も昔も生活に欠かせないものだったために、争いの種にもなりました。
【平安時代】
都は平安京、つまり今の京都でした。京都が都に選ばれた理由の一つが、井戸の水が豊富だといわれています。水があるところをわざわざ選んで国の中心にするというのですから、驚きです。清少納言が書いた「枕草紙」にも「少将井」など9つの井戸が記されていることからも、井戸の水が身近だったことがうかがえますね。
【鎌倉時代】
水にめぐまれなかった鎌倉では、水がわき出る井戸は貴重な水源でした。水争いを防ぐため、井戸は寺社によって守られ、今でも使われているものがあります。
いくら腕っ節の強い武士とはいえ、神様や仏様には勝てません。わざわざ、そうしたところを選んでまで、水を守っていたのですね。北条政子といえども、毎日お風呂に入るなんてことは、到底なかったのだと思います。
【江戸時代】
江戸時代には上水道が整備されたことがわかっています。江戸時代の水道は上水とも呼ばれ、石や木で造られた水道管(石樋・木樋)によって上水井戸に導かれ、人々はそこから水をくみあげて飲料水・生活用水として使用しました。江戸上水の起源は、天正18(1590)年、徳川家康の江戸入府時に開設されたともいわれます。大河ドラマでも、上水に関わるシーンが出ればうれしいのですが…。ちなみに、タイトルにつけた古地図は、玉川上水のものです。江戸の人は測量して江戸まで水を引いていたんですね!
実際に当時の樋(とい)を見ましたが、大きくて長い。そして、水が流れるように傾きが計算され、次の井戸に向けて水がたまり、そのたまった力で次の井戸へ水が流れるように設計されていました。重機もなかった時代に、地中に樋を埋めて水を流す工事をした労力に、驚かずにはいられません。
【明治・大正時代】
鉄製の水道管が整備されはじめ、上水道が日本中で整備されていきました。となりのトトロで思い出されるように、昔の家といえば手押しポンプ。大正時代から製造され始めました。 一般家庭に普及させるために、昭和10数年ごろからシンプルで安価な手押しポンプが開発され、昭和30年代ごろまでには日本の一般家庭に広く普及し、親しまれていました。
大学生の時、私がお遍路さんをしていたら、家にポンプがある家があって感動しました。おばあちゃんが力強くポンプを押すと、じゃぶじゃぶと水が吹き出てきたのです。まるで生きているかのような道具でした。
【現代】
日本の水道普及率は約98%と言われており、普段当たり前のように蛇口をひねって水を使っています。国土交通省の「水資源の利用状況」によると、私たち日本人は水を1日1人当たり約250~330リットル使用しているようです。
2リットルのペットボトルを約300本、毎日運ばないといけないとなると、とても大変です。しかし、こうした思いに気付くこともありませんし、どのくらいの水を使っているかを意識することもないのが現状かと思います。
私たちにかけがえのない水。それは、歴史が証明しています。学ぶことで、水を大切に扱ってきた日本人のことを知ることができ、謙虚な気持ちになれます。
日本人と水の歴史を見てきた結果、大切なのは私たちが担うべき未来です。
私たちが未来の日本人に豊富な水を残してあげるためにも、守るべきものは守る、大切にすることは大切にする!と心に決めていかなければなりません。
三浦健太朗
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